「花井君、部活お疲れっ!」
「ああ、どーも」
毎日、俺の部活が終わるのをグラウンド脇で待つ女。
1年1組、。
俺はこいつが苦手だ。
と、いうのも――
「それでは恒例の――好きです、花井君。付き合ってください」
こーいうことを言うからだ。
「あー、はいはい」
俺はその言葉を受け流し、駐輪場へと急ぐ。
「ちょっと、乙女の告白くらい足を止めて聞きなさいよっ」
「……乙女?」
無理に歩幅をあわせ、文句を垂れるは自称恋する乙女だ。
現実を分かってはいても、やはり俺にだって憧れというものはある。
理想を求める俺の視界に、今現在乙女は存在していない。
は「ここにいるでしょ! 乙女が! ここに!」といきり立っているが、そんなことは関係ない。
「あ、だー!」
やっほーと無駄にご機嫌な掛け声を出しつつ駆け寄ってくるのは田島だ。
後ろに野球部メンツも控えている。
「また花井に告ってんのー?」
「うん」
かわい子ぶって恥らう仕草をすると、お馴染みの光景を暖かく見守るような皆の視線に一気に疲れを覚える。
毎日の日課のように繰り返されるこの光景のおかげで、この話題のあがらない日はないといっても過言ではないだろう。
今日の部活前だって――
「今日も来るのかな?」
「知らねーよ、なんで俺に聞くんだよ」
「他に誰に聞くんだよ」
お前目当てで来てんのに、としれっとした顔で泉が話しかけてくる。
隣では田島が「いいかげん付き合っちゃえばいーじゃん」と無責任な発言をする。
「なんで?」
「なんでって、毎日あんなに告白されてんだしさ。ちょっとは――」
「全部冗談に決まってるだろ、あんなの。そうでもなきゃ言えるわけねーよ」
「そうかなー」と首をひねる泉。
俺が思うに、告白というものはもっと真剣な筈だ。
毎日毎日、あんなにも楽しそうに「好きだ」と言うは、俺をからかって遊んでいるだけなんだ。
そんなことに本気になるほど俺は自惚れていないし、マヌケでもない。
「そんなこと言ってさ」
一見無邪気な子供のような顔で楽しそうに田島が口を開く。
こいつはきっと、ロクなことを言わない。
「実はもう、夜のオカ――ぐむ」
やっぱり。
俺は泉と二人で田島の口を塞ぐ。
何度も何度も好きだと繰り返されて、その度に思う。
「好き」って言葉はそんなに軽いものなのかと。
一昨日より昨日、昨日より今日の「好き」は軽くなっている。
どうしても、そんな風に思う。
「花井君、ありがとう」
の声が聞こえ、我に返る。
気がつくと自転車を押す俺と、は二人でいつもの十字路に立っていた。
最近では、野球部の練習が終わって日が暮れた中を一人で帰らせるわけにもいかず、家近所のここまで送って行くことが習慣になっていた。
もちろんは遠慮していたが、それで何かあっては俺の寝覚めが悪い。
そんな、いつもの十字路。
「送ってくれてありがとう」
いつもの謝辞。
「花井君、好きだよ」
いつもの、「好き」――
背を向けて帰ろうとするに、思わず俺は声をかけた。
「どこが?」
「え?」
少し驚いたようには俺を見る。
「俺のどこが、そんなに好きなんだよ」
「優しいところ」
躊躇うことなく、しかし照れたように頬を染めては言った。
「頑張ってるところ、人を放っておけないところ、そういうとこ全部全部、好きだよ」
嬉しそうに、何故だか分からないけど嬉しそうに、は言う。
全部、冗談なんだろう。
全部全部、気軽な気持ちなんだろう。
何故だか、段々と腹が立ってくる。
イライラとした気持ちが溢れそうになるが、それを必死で我慢した。
「そういうこと、もう言うなよ」
「え?」
「そういうのって、そんな気軽に言うもんじゃないと思う」
「何で?」
「そうやって、何度も『好き』って繰り返して、その言葉が軽くなってくの嫌なんだよ」
「今までの全部、迷惑だった?」
「そういうわけじゃねーけどさ、勿体無いだろ。いつかが本当に好きな奴ができたとき、困るだろ」
「……花井君、好きだよ」
「だからっ――」
なんでコイツはここまで言ってもまだ――イライラが頂点に達しそうになる。
きっと表情は既に怒っている。
それでもいい、睨みつけてもいいか、そんな気分での顔を見た。
「好きだよ、好き」
は俯いて、俺の顔を見ない。
「好きだよ。花井君が好き、好き、好き、好き好き好き好き好き好き好き、大好きだよ!」
言葉を荒げ、何度も同じ言葉を繰り返し、は顔を上げる。
今まで見たこともないくらい眉尻の下がった、今にも泣きそうな顔だった。
「気軽な気持ちで、こんなこと言えるわけない」
は自分の腕で口を塞ぐと、震える声でそれだけ言って、走って角を曲がった。
呆気にとられた俺は、しばらく身動きがとれなかった
やっと足を動かしても、頭はぼんやりとしていて働かない。
俺は間違っていないと、それだけ言い聞かせようとした。
――傷つけた?
でも、誰だって思うだろ。
毎日あんなこと言われて、本気だなんて思えるわけないだろ。
俺は、悪くない。
俺は――
それでも、ずっと頭をちらつくのは、の泣き顔。
「っああ、くそ!」
いつもいつも、あんなに楽しそうに笑ってたやつが急に泣き顔なんか見せるから、こんなにも罪悪感に苛まれるんだ。
あんな顔は見たくなかった。
あんなこと言うつもりもなかった。
じゃあなんで言ってしまったのか。
苛立ってたからだ。
なんで苛立ってたのか。
の「好き」は本気じゃないって思っていたから。
なんで、本気じゃないと嫌だったのか――
自転車を放り出して、十字路の角を曲がる。
ここを曲がれば、まだが歩いている姿が見える筈だ。
「!」
目の前の道路に、人影はなかった。
今、曲がったばかりの筈のの姿が、ない。
「……」
脱力して、肩をおとす。
「……はい、なんでしょう」
すぐ隣で、の返事が聞こえた。
状況が理解できないまま、声のした方を向く。
曲がった角、すぐの所にが立っている。
焦って角を曲がった俺は、気付かず棒立ちのを追い越していた。
「なんでいるんだよ!」
焦った自分を見られた恥ずかしさで思わず声が荒くなる。
は、ワザとらしくすねたような顔をした。
「花井君なら、追いかけてくると思ったから、待ってた」
「っな…、なんで?」
「分かるよ、それくらい」
なんでもないことのようには言って、一歩歩み寄る。
「花井君のこと、いつも見てるんだもん」
少し怒ったような、いつもより真剣な顔をする。
つい先ほど泣かせてしまった罪悪感が、また襲ってくる。
「あ…その、ごめん、悪かった。無神経なこと言って」
「私が本気だって、分かった?」
「…ああ」
今更ながら、が本気で俺を好きなのかと自覚する。
「花井君は?」
「え?」
「花井君は、私のこと好き?」
真剣な顔が俺を見る。
何故、俺がに苛立ったのか。
何故、今嬉しい気持ちになっているのか。
すぐに、答えは出た。
いつの間にか、本当にいつの間にか、自分でも気付かないうちに――
「俺、のこと好――」
「うん、知ってる!」
言葉を言い終わらないうちに、口に何か柔らかいものが触れた。
それがの唇だと気付いたときには、すでに口は離れていた。
「!?」
「やったー! 花井君のキス奪っちゃった!」
が目の前ではしゃいでいるが俺は全くついていけず、火照った顔についている自分の口を腕で覆った。
「な、なにっ…!?」
「花井君が私のこと好きになってるなんて、とっくに知ってたよ」
「はあ!?」
「いつも見てるって言ったでしょ。気付くよ」
じゃああの泣き顔はなんだ、とか、じゃあワザワザ俺に言わせなくても、とか言いたいことが次から次へと出てきては混乱しうまく言葉にならない。
その考えすら分かっているように、はにやりと笑った。
「仕返しだよ、泣かされちゃった分のね」
それじゃあまた明日ね、と言って帰っていくの目には涙が少し残っていた。
俺は火照った顔を押さえつつ、自分が放り出した自転車まで戻ると、急いでそれを起こしてペダルを漕いだ。
ゆるい足取りで歩くに追いついて、荷台に乗るように言う。
家まで送って行くと言うと、は嬉しそうに満面の笑みを俺に向けた。
質量保存の法則
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