互いの息遣いが聞こえた。 何が起きたのか、ワケも分からず、ただ暗闇の中でうずくまっていた。 廊下から、足音が聞こえる。 コツ、コツ、コツ 近付くにつれ、私の後ろにいる男の体が、強張るのが分かった。 「だいじょ――」 気遣おうとした私の口を大きな手が覆う。 窒息しそうな程、強く私の口は塞がれ、言葉を紡ぐことを許されない。 コツ、コツ、コツ、コツ 足音は遠ざかり、聞こえなくなった。 口を塞ぐ手が緩んだ隙を逃さず、私は体を離す。 「一体、何を……」 「しっ!」 抗議の言葉を発しようとした私の口に、再び手を当てようとする彼。 それをかわし、立ち上がる。 つい今しがたまで私が居たのは、机の下。 光の当たらぬ、その場所から、のっそりと立ち上がる男の影。 クラスメイトの、日野貞夫。 「命知らずな奴だな。今は兎狩りの真っ最中だぞ」 「兎狩りって?」 「俺達の部活動だ」 「あんた達の部活って?」 「殺人クラブ」 一夜の夢 先刻、私の目の前に現れた日野と見知らぬ6人。 戸惑う私に、彼らは物騒な武器を見せつけ逃げろと言った。 尋常でない雰囲気に私の足は知らず走り出し、夢中で逃げ込んだ家庭科室でいきなり後ろから机の下へと引き込まれた。 私を引き込んだ張本人、日野は今、左手に日本刀を持ち教室内の棚を探っている。 「、ほら」 「え、うわっ」 差し出されたのは、包丁だった。 驚いて手を引いた私に、今度は果物ナイフが差し出される。 「そうか、こっちの方が持ち運びやすいな」 「い、いや、そうではなく。なんで、こんなものを?」 「馬鹿だな、あいつらとやりあうのに手ぶらじゃ、勝負にならないだろ」 「や、やりあう……って、何故?」 「お前が生きる為だよ」 そう言って、日野は私の手に無理やりナイフを握らせる。 真剣な彼の表情に、私はそれを受け取らざるを得なかった。 彼のこんな表情は見たことがない。 日野はいつも、淡々と、軽々と仕事をこなす。 先日、同じ委員会での彼の仕事ぶりを見ていて羨ましく感じたものだった。 仕事を一緒にして、楽しくお喋りをして、今日やっと終わった。 できた書類を提出するのでさえ私は手間取ってしまい、やっと教室に戻れたのがつい先程。 ついさっきの出来事だというのに、そんな日常が今では遠くに感じる。 まるで私が別の世界に迷い込んでしまったようだ。 手にあるナイフの柄が、私の汗で少しずれた。 机に腰掛けた日野は、日本刀を鞘から抜いて刃を眺めている。 月の光が刃にあたり、まるで映画のワンシーンでも見ているかのようだ。 「誰が、こんなこと……」 私の呟きに、日野は微かに反応した。 思わず口をついてしまい、はっとした私を見て、口の端を上げる。 「俺だよ」 笑ったままの日野が言ったセリフを理解できず、自分の胸の中で反芻する。 「俺が、あいつらに言った。が次の兎だってな」 言葉の意味を理解し、呆然とする私を面白そうに見「俺はあいつらの部長だからな」と言って、笑った。 楽しそうに、笑った。 日本刀の刃が動いて、煌いた。 殺される、と思った。 堅く目を閉じた私の耳に、刀が鞘に納まる音が届く。 「何してるんだ」 声が聞こえ、彼の暖かい手が私の手を引く。 目を開けると、日野の顔が視界いっぱいにあった。 「そろそろ、動くぞ。絶対に、大声を出すなよ。あいつらに束になられると俺でも厄介だ」 「だって、これ、言い出したの日野なんでしょ?だったらやめさせてよ」 「俺がノリ気になってるあいつらを止めきれるわけないだろ」 「止めてみせてよ」 「無理だ。俺もお前も、殺されるのがオチだ」 「じゃあ、どうするの…?」 「全員殺す」 信じられない言葉に、私は彼の手を振り払った。 今の言葉に、冗談だと言う響きは伴われていなかった。 彼の顔は相変わらず笑っているが、目には常人のものとは思えない、狂った光が見えた。 「一人ずつ、殺していく」 「な、なんで!?仲間なんでしょ?」 「仲間…とは、少し違うな」 「なんで、なんで殺すの?」 「を殺したくないから」 「だ、だって、あんたが言ったんでしょ!?私を殺せって!」 「そうだな。後悔してるよ」 「後悔、してるの?」 「ああ、お前を兎に決めてから、一週間も期間を開けたことに、な」 「え?」 「まさか、俺が――」 「日野、が?」 「いや。お前が、一週間で俺の気を変えるような女だとは思っていなかった」 日野が笑って、私を見る。 その顔はどこか楽しそうだった。 「、どうする?一緒に来るか、ここに隠れてるか。1人で逃げたら、まず間違いなく死ぬな」 「……」 私は、迷う。 私が、死ぬ? あいつらに、殺されて…? 「一緒に来るなら、守ってやれる」 そう言って、日野は手を差し出した。 狂った人の筈なのに、人殺しの筈なのに、その顔はひどく頼もしく感じた。 私が、恐る恐る手を差し出すと「よし」と嬉しそうに声を出し、手を強く握られた。 彼はそのまま私の手を引き、教室を出ようとする。 ドアに手を添え、開こうとし、動きを止めた。 「」 「なに?」 「これは、悪夢だ。一夜限りの」 「え?」 「これが終わったら、俺はもう、の前には現れない。これは、夢の中の出来事だからな」 「なんで、そんな――」 「行くぞ、もう、喋るな」 日野は私の言葉を遮り、ドアを開けた。 彼の背中は、とても大きく、頼もしく見えた。 目を覚ました私は、これが夢だったと分かったら、少し寂しく思うに違いない。 そう言うと、日野は嬉しそうに笑った。 << |