…ねえ、先生、私ね、飛びたいの

ねえ先生、頑張ったけど、どうにもならなかったの

ねえ先生、私と一対の翼になってくれませんか?

私、先生となら、もう一度飛べると思うんです





好きです





頬杖をついて、窓の外を眺めた。

つい先程言われたばかりの言葉を何度も反芻した。

間違っても「俺も好きだ」などと言えるわけがない。

実際、そんなに真剣な想いをぶつけてきた純粋な中学生に、俺が真剣な思いで応えてやることなんてできないのだから。

正直なところ、自分の気持ちが分かっていない部分も多々あった。



俺はお前の翼にはなれねーよ



そう応えるので、精一杯だったんだ。

あのいつもの無表情な顔で「そうですか…ならいいです」って言うと思ったんだ。

まさか、あんなに泣きそうな顔をするとは思ってなかったんだ。

それでも、受け止めることはできなかった。


「あーあ、やりづれえなあ」


乱暴に頭を掻いた。

ちゃんは明日も来るのだろうか。

来なくなるだろう。

少し残念な気持ちがするのに気付かないよう蓋をして、それが一番いいと納得させた。






案の定というか何と言うか、その日以来ちゃんは保健室に来なくなった。

複雑な気持ちは隠しようもなかったが、時間が解決してくれるだろうと楽観していた。

彼女が保健室に来なくなって2日ほど経った日。

たまたまトイレに行った帰り、職員室から生徒の父母であろう人が出てくるのを見かけた。

それを見送っていたのは、ちゃんのクラスの担任教師――あの日、彼女を抱えてきた男性教師――だった。

それを意識してみると、その母親にどこかちゃんの面影を感じ、なんとなく落ち着かなくなった。

担任教師に近付き、今の父母について尋ねた。


「ああ、そうですよ、さんの親御さんです」

「何かあったんですか?」

「…そういえば、さんはよく保健室に行ってましたよね」

「ああ、まあ…」


すると、その教師は声を落とした。


「実は、さん、自宅に帰ってないらしいんですよ…2日程前から」

「えっ…」


2日前っていったら、ちょうど、あの日だ…。

俺が何も言えず固まっていると、その教師は尚も続けて話してくれた。


「最近、さんは双子のお姉さんを亡くされましてね。それ以来ただでさえ元気がなかったらしくて、心配しているんです。先生心当たりありませんか?」

「双子の、姉?」

「ええ、一卵性で瓜二つの。本当に仲が良くて結構この学校内で評判の2人だったんですけど…シャマル先生は知りませんか?」

「まあ、あんまり興味なかったもんで」

「ははは、とにかく事故だったかな…お姉さんが亡くなってからというもの、家にもあまり帰らなくなったみたいで…遂に2日も。学校にも来ていませんし」

「そうですか…お力になれそうもなくて申し訳ないです」

「いえいえ、そんな…」


社交辞令を述べ、その場を立ち去る。

頭の中で、ちゃんの声がした。




羽が、一つなくなっちゃったんですよ

羽が一つなくなっちゃったら、もう飛べませんよ。羽ばたけないんですから

――まで、届くかな



紙ヒコーキを見送る彼女の顔は、無邪気で、でも何処か寂しそうに見えた。

保健室に戻り、ベッド脇のカーテンを開けた。

ちゃんがいつも寝ていたベッド。

カーテンを開けたら、いつもの顔で「お邪魔してます」と言うんじゃないかと思った。

しかし、そんな期待も虚しく、ベッドの上はもぬけの殻だ。

…当たり前か。

俺は、そのベッドに横になり、天井を見た。

彼女はいつも、ここでこうやって、天井を見ていた。

本当は、何処をみていたのだろう、ここで何を考えていたのだろう。

そうしているうちに、いつしか眠りについた。





夢の中、ちゃんが飛んでいた。

ちゃんに寄り添うように、ちゃんと同じ顔をした女の子がいた。

それぞれの背中に一つずつ、羽が生えており、上手い具合に羽ばたいている。

その2人は、俺に近付いてきた。

そして、ちゃんが俺に話しかける。

「先生、私、また飛べるようになりました」

「おう、よかったな」

そう返すと、ちゃんの隣にいる、全く同じ顔の女の子が嬉しそうに笑って「やっぱり私達は2人で1人ですから」と言った。

ちゃん自身は、少し寂しい顔をして俺を見た。

そして、手を引っ張られ、俺を通り過ぎて行こうとした。

ちゃんの寂しい顔が、あの日の顔に重なった。

無意識のうちに俺は手を伸ばし、去ろうとしていたちゃんの手を握った――





「うわぁっ」


間抜けな男の声だった。

ちゃんの手を掴んだかと思ったその手は、やけにゴツゴツしていた。

声の主を確認すると、隼人だった。

もちろん手も同様だ。

俺は、彼の手を払いのけた。


「うわー、気持ちわりい、男の手なんか触っちゃったじゃねーか」

「俺だって気持ちわりーよ!くそっ」


吐き捨てるそうに行って、背を向ける獄寺。


「おい、何か用事があったんじゃねーのか?」


不満気な顔で振り向いた獄寺は、顎をしゃくりベッドの枕元を指した。

そこにあったのは、紙ヒコーキだった。


「…これは…」


泥がついて少々汚れてはいたが、左翼にはちゃんの描いた丸い顔をしたネコがいた。

中に何か書いてあるようで、慌てて開いてみると、そこには確かにちゃんの字があった。


『公園の並木にひっかかってました。

やっぱり、自分で飛ぶことにします。

ご面倒おかけしてすいませんでした。

ありがとうございます』


「隼人、お前これを何処で…?」

「ああ?いつだったかな…ちょっと前に同じクラスのって奴から預かったんだよ」

「ちょっと前っていつだ!?」

「え?あー、昨日かその前かくらいだな。悪ぃ、忘れててさ」

「…そうか」


その文字を何度も何度も読み直した。

そうか、自分で飛びに行ったのか…

急に静かになったことを心配したのか、隼人が口を開いた。


「なあ、なんかあったのか?」

「…いや、別に」

「まさか、中学生に手ぇ出したんじゃねーだろーな」

「まさか。ただ…遊びに来てた可愛い小鳥がもう来なくなったんだよ」

「小鳥?んなの、籠にでも入れとかなきゃ来なくなるに決まってんだろ」

「そうだな…入れときゃよかったかもな」


鳥籠に入れてしまっていれば、君は飛べないことを嘆くこともなかったかもしれない。


彼女の無邪気な笑顔を思い出した。

瞳を輝かせ、いつまでも飛んでいく紙ヒコーキを見送っていた。

紙ヒコーキを飛ばせる俺自身が誇らしく思えるくらい、ちゃんは純粋に喜んでいた。


君は、空を飛べたのだろうか。

君は、翼を見つけたのだろうか?

それとも気付いたろうか

翼がなくっても足で立って歩いて進むことはできるということに

俺はちゃんの翼にはなれないけど、それでも手を引いてやるくらいのことはできる筈なんだ。

だから帰っておいで

ベッドはいつも開いているし、俺だって暇をしている。

また、天井を見て、ボーっとしていればいい。

そうしたら俺は、どうやって君の笑顔を引き出せるのか考えるから。

だから、戻って来い。

そうしたら、今度は鳥籠に入れて、もう逃がさないから








羽ばたきたいと小鳥が嘆く













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