俺が保健室に来てからというもの、訪れる生徒の数は激減したらしい。

まず男子生徒は俺が受け付けない。

次に、誠に不本意ながら女子生徒。

余程の体調不良か怪我をしたときに来て、すぐに去っていく。

あれだ、皆、俺の本当のカッコよさを知らないからだと言ったら、隼人に「ケッ」と言われた。

生意気なやつ。

そんな暇な保健医をやっていたある日、そいつは運び込まれてきた。

全身に打撲の痕がある、気絶した女。

男性教師が抱えて飛び込んできた。

周りには野次馬が数人いた。

男性教師は息を切らしながら、「階段から落ちたみたいなんです!」と言った。







羽ばたきたいと小鳥が嘆く





その少女が目を覚ましたとき、ちょうど俺がその子の太股の部分にシップを貼っているところだった。


「…」


その少女は真っ直ぐ俺を見た。

一見すればスカートをめくってシップを貼るスケベ保健医だ。

いや、別に一見しなくてもそうなんだが。

しかし、その少女は特に動揺した様子もなく、しばらく何かを考えこんだ後、口を開いた。


「あのー、ありがとうございます」

「ん?いやなに、これが仕事だからな」

「ここ、保健室ですよね?」

「そうだ」

「えっと、私…」

「階段から落ちたらしいぞ、下で転がってたってよ」

「ああ…」


感動のない瞳で納得している。

頭は無傷のように見えたが、やはりヤバイのかもしれない。

一応病院へ行くように勧めた方がいいだろう。


「一応、頭打ってるかもしれないからな、病院行っとけ」

「いえ、大丈夫です」

「大丈夫じゃねーだろ、一応行っとけっての」

「…先生が、診てくれればいいです」

「なんだー?誘ってんのかー?」

「いえ、まったく」


淡々と応える女子生徒。

こんなのでは気分が萎える。

キスを迫る気にもならん。

とりあえず、机の上に置いてあった名簿を渡し、クラスと名前を記入させた。

クラスは、ボンゴレ坊主のやつらと同じで、名前は『』と女らしい整った字を書いた。


ちゃんね…しっかしまあ、階段から豪快に落ちたみたいだな」


全身を嘗め回すように見て言う。

普通の女子生徒なら、嫌悪感顕にして身を隠すところだが、彼女は例によって例の通り、無感動に「はあ…」と頷いた。


「先生は、空を飛べますか?」


挙句、こんなことを言い出した。


「私は、昔は飛べたんですけどね、もう飛べなくなっちゃったんですよ」

「いや、飛べねえだろ」

「それが、飛べたんですよ」

「じゃあなんで今は飛べないんだ?」

「羽が、一つなくなっちゃったんですよ」


溜め息が出た。

無感動で変な女だと思っていたら、その上電波だったわけだ。

溜め息の一つも出る。

いい加減呆れている俺に気付いているのかいないのか、そのちゃんは話し続けた。


「羽が一つなくなっちゃったら、もう飛べませんよ。羽ばたけないんですから。ねえ?」

「あー、そうだなあ」

「もう、飛べないんですね…」

「お前、もしかして階段から落ちたんじゃなくて、飛び降りたんじゃねーよな?」

「正しくは、羽ばたこうとしたんです」

「…」


なんて馬鹿馬鹿しい。

呆れ返ってその女を見るが、そいつは何もおかしなこと等ないように、体の手当てされた部分を探っている。

もちろん、キャミソールの下までバッチリ手当てしてあるし、当然俺がそこまでやったわけだが、やましいことなど何もないので何も言わない。

まあ、多少なりとも役得だと思わなかったといえば、嘘になる。


ちゃんは肌白いな」

「ありがとうございます」

「手当てのお礼はチューでいいよ」

「…まあ、それでお礼になるのなら」

「…」


萎える。

抵抗も何もないと、逆に萎える。

諦めた俺は、机に戻り何気なく手遊びを始めた。

テキトーにいらない紙を引っ張り出し、折り紙を始める。

ちゃんは、ベッドの上からそれを眺めていた。


「…紙ヒコーキ?」

「ほら、羽ばたけなくてもなー、空は飛べるんだよ」


完成した紙ヒコーキを見せると、興味津々といった顔でベッドから降り、近付いてくる。

初めて見る中学生らしい顔だ。

なかなか可愛い。


「それ、遠くまで飛ぶ?」

「おー、飛ぶさ」

「どこまで?」

「どこまででも。俺なら飛ばせる」

「っすごい!」


顔を輝かして、俺を見上げるちゃん。

急に無邪気で、女の子らしい顔を見せられて不覚にも胸が騒いでしまった。

俺はちょっと得意になり、紙ヒコーキを渡す。


「何か、書いてみてもいい?」

「おー、いいぞー」

「空の、ずっと向こうに届く?」

「届くさ」

「じゃあ、私達が飛ばしたよって分かるようにしないと」


ちゃんは、紙ヒコーキの左翼に可愛らしいネコのイラストを描いた。

黒い油性ペンで描かれた、丸い顔をしたネコ、実に愛らしい。

俺はそれを受け取ると、思いっ切り遠くまで行くように窓から飛ばした。

現実的に考えて空の向こうまで届くわけはないが、それでも見えなくなるまでは飛ばしてやろうと思った。

その紙ヒコーキは、遠く遠く飛んでいった。

輝く瞳でその紙ヒコーキを眺めるちゃんの顔を見ていたら、自分が紙ヒコーキを飛ばすのが上手くてよかったと少し誇らしくなった。


「――まで、届くかな」


ちゃんが何かを呟いた。

しかし、その言葉は俺に向けられたものではなかったようなので、聞こえなかったフリをした。


「シャマル先生!」

「ん?」

「ありがとうございます!!」


そう言って、身を翻す彼女は、先程の無感動とうって変わった活き活きとした姿になっていた。

保健室から出て行こうとする彼女に俺は慌てて声を掛けた。


「おい、病院には行っとけよー」


ひらひらと手を振って保健室を出て行く彼女の背中から、何故か目が離せなくなっていた。



 × × ×



「うわ、お前またいたのか…」

「お邪魔してます」


保健室に戻ると、ベッドで寛いでいるちゃんがいた。

あれ以来、彼女は毎日のように保健室でサボっている。

何をするわけでもなく、ただ仰向けに寝転んで、ボーっと天井を見ている。

最初のうちは、追い帰そうかと色々言ってみたが、彼女お得意の無感情な瞳を向けられると俺は何故か黙ることしか出来なくなってしまうので、結局は相手のペースに乗せられてしまった。


ちゃん、もう放課後だぞ…」

「まだ大丈夫です」

「さっさとお家に帰りなさい」

「帰りたくないです」

「…帰んないなら、ココでおじさんといいことしちゃう?」


そういって、彼女に絡んでみれば


「家に帰るくらいなら、先生といいことします」


必ず俺を受け入れる。

そんなことを言われて、続ける気にはなれず、いつもそのまま彼女のペースだ。

2062股もかけた俺がなんてザマだ。

まあ、問題はちゃんが中学生ってことなんだが…ってそれはまあいいとして。


「なんでそんなに家に帰りたくないんだ?」

「…ないからですよ」

「何が?」

「もう、家には私と一対になる翼がないんですよ」

「…なんだかなあー」


女子中学生が保健室に入り浸りって、かなり嬉しい状況なハズなのだが、純粋に愉しめないのは何故なのか。

溜め息をつきつつ、机に戻ると、急にちゃんが声を掛けてきた。


「シャマル先生は、私のこと嫌いですか?」

「あ?」

「…ねえ、先生、私 ね ―― 








 × × ×


静かな道。

夕暮れの通学路。

は一人歩いていた。

無表情なようで、今にも泣きそうにも見える。


「あーあ、うん、あはは、ダメだ」


独り言を呟くが、他人が聞いても全く意味を成さないものだった。

ふいに立ち止まり、空を仰ぐ。

すぐ左手には公園があり、その向こうに並盛中学校が見えた。

保健室のある位置に目をやり、そのまま目を伏せ首を横に振った。

再び空を仰ぎ、公園を囲んでいる並木を目でなぞる。


「…あ」


口から零れ出た声は、夕日と共に溶けて消えた。










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