走った、とにかく走った。
足がもつれて、何度も転びそうになって、それでも走った。
後ろを振り返るのが怖かった。
あいつらが追いかけてきてるんじゃないかって、それが怖くて振り向けなかった。
あいつらは、もう死んじゃってるって、さっきこの目で見たはずなのに、それでも怖かった。
息が切れる、足が悲鳴を上げているのが分かる。
何が起こったのか、最初は分からなかった。
ただ、目が覚めて、やけに静かだと思った。
今日も、あいつらの変な実験のせいで友達が死んじゃうのかと思って憂鬱だった。
しばらく、じっとしていたけど、誰の気配もしない。
恐る恐る、実験室の方へ行ってみた。
そこは、血の海だった。
× × ×
「一人、息のある奴がいたんだ。そいつは、もう意識が朦朧としてたんだけど、六道骸の名前を悔しそうに呟いてた。それで僕はそこで何があったかを悟ったんだ」
僕は、実験室を漁って、憑依弾を見つけた。
それは、使ったことはなかったけど、それでもこれから一人で生きていく上で必要になるかもしれないと思って鞄につめた。
他にも沢山の武器や、残っていただけの食べ物は持ち去った。
でも、建物を出た瞬間に、大人たちがゾンビになって僕を追いかけてくるんじゃないかって急に怖くなって、走ったんだ。
泣きながら、体が悲鳴を上げてるのを無視して、ひたすら。
数日間、地理も分からないところを彷徨って、そして…君に会ったんだよ。
君は、覚えてる?
× × ×
「ねえ、どうしたの?大丈夫?」
目を開けると、僕の顔を女の子が覗きこんでいた。
ウッカリ熟睡してしまったようだ。
マズイな…逃げなくちゃ…そう思うけど、体が動かないんだ。
もう、いいや、このまま逃げてもどうせ死んじゃうよ。
なら、何処で死んでも一緒かな。
なんて、そう思ったら急に気持ちが楽になった。
「大丈夫だよ、君誰?」
もう、開き直るしかなかった。
「ふふ、人様の庭に入っておいて、ふてぶてしい態度ね。大丈夫そうで安心した」
「・・・安心?」
「最初、死んでるのかと思っちゃった」
柔らかく笑うその女の子は、そのときの僕にとって凄く眩しかった。
それまでの緊張が一気に緩んで、涙が溢れた。
ひたすら弱々しく泣く僕に最初はビックリしながらも、その子は黙って傍にいてくれて、頭を撫でてくれた。
気が済むまで泣いた僕は、気恥ずかしくて、でも、その子の傍にいることが心地よくて。
「ねえ、その洋服はどうしたの?そんな格好で歩いてると風邪ひいちゃうわ」
「これは…その…」
僕はエストラーネオファミリーから逃げたしたままの格好で、それは人体実験のし易い白い布切れだった。
理由が言いたくなくて、黙ってしまった僕に、それでもその子は優しかった。
薄汚れた見ず知らずの僕をコッソリ自分の部屋まで連れて行ってくれた。
「この服をあげるわ。私の運動用の服なの。多分男の子が着ても大丈夫よ」
「え…でも、君は…」
「私、似たようなの沢山持ってるから、大丈夫」
悪戯っ子のように笑って、「さ、着替えて」と隣部屋に押し込まれた。
戸惑いながらも、正直、この服がこの女の子との繋がりになればいいと思って袖を通した。
服を着て、部屋に戻ると、その子の足元に僕の持っていた荷物の中身が散らばっていた。
そこにあるのは、複数の銃や短剣、そして三叉槍。
僕は慌てて――今更、遅いと分かっていつつ――自分の荷物を体で隠そうと飛びついた。
女の子の顔が見れなかった。
怯えているだろうか、呆れているだろうか、哀れんでいるだろうか…。
「あ、ごめんなさい、その、落ちちゃって…」
その子の声には、中身を勝手に見たことへの気まずさしかなかった。
僕は、ゆっくりと顔を上げる。
女の子の顔には、怯えはおろか呆れも哀れみもない。
僕は、よほど情けない顔をしていたのだと思う。
女の子は、噴出したように笑った。
「大丈夫よ、それくらい、ほら」
そう言って、しゃがんで荷物を鞄に詰めなおしてくれた。
「私はね、将来マフィアのボスの妻になるのよ。こんなのどうってことないわ」
「…将来、妻に…?え?」
「そうよ、そう決まってるの」
「…僕は、マフィアは嫌い」
「うーん、私も別に好きじゃないわ」
「その、ボスの人が好きなの?」
「会ったことないわ」
好きでもない、会ったことのない相手の妻になると、何でもないことのように言った。
「それじゃあ、なんで?」
「生まれる前にね、お金で買われたの。私の家は、そういう家なの」
「そんなの、変だよ」
「そうかな…そうなの?」
「う、うん、多分」
僕は、生まれてからずっとエストラーネオファミリーにいたから、それが変なのか確信はできなかった。
ただ、目の前にいる優しい女の子が、望まないまま誰かの妻になることが少し悔しかっただけなのかもしれない。
その子も、自分の家が変なのかは分からなかったのだと思う。
ずっと、そこで生きてきていたのだから。
「君は、それでいいの?」
「…分かんない。でも、私はその人の為に強くならなきゃいけなくて…」
「それって、辛くないの?」
「………つ、辛い…かな……ううん、辛い、よ」
絞り出したような応え。
きっとこの子は、今まで弱音を吐くことを許されていなかったのだと直感した。
きっとこの子は、そういった疑問を生むことすら禁じられて、むりやり前を向かされてきたのだろう。
その子は拳を握り締め、俯いていた。
それは、生まれて初めて、自分の正直な気持ちと向き合い葛藤する姿だった。
「僕が、助けてあげるよ」
「…え?」
僕の呟きは、その子に届いていないようだった。
しかし、それでいいのだ。
それは、僕が自分に言い聞かせたものだから。
「必ず、僕はこの借りを返すよ」
「え、そんなの、別に…」
「いいから」
廊下から、女の子を呼ぶ声がした。
「、何してるの?稽古の時間でしょう」
「あ、ごめんなさい、すぐに行きます」
「早くなさい、時間も守れないようじゃダメよ」
と呼ばれた女の子は、僕の為に窓を開けてくれた。
ベランダに出た僕は、その子に振り返る。
その子の顔には、少しの迷いが生まれている。
「色々と、ありがとう」
「…お礼を言うのは、私の方だわ」
フフっと笑うその子は、もう無邪気なだけの女の子ではないようだった。
「あのね、私はっていうの。。あなたは?」
「僕は――」
「!!何をやっているの!?早くなさい!!」
「はい!ごめんなさい!今すぐに!」
女の叱咤の声、ドアが乱暴に開かれる音、がカーテンを勢いよく閉める音、僕の名前、の返事
全てが同時で、僕は慌ててベランダから降りた。
庭先に下りて、部屋を見上げる。
の部屋のカーテンはもう開かなかった。
× × ×
その後も、僕は自分の居場所を見つけることもできなくて、ひたすら彷徨ったんだ。
食べ物も尽きて、危ない仕事に手を染めて、そうやって生きてきた。
友人も家族も家もなくて、を助けに行ける状況になるまでにどれだけかかるか、考えるだけで悔しかった。
そんな時、ボンゴレファミリーに居るっていう女幹部の話を聞いたんだ。
優しくて、強くて、笑顔の似合う綺麗な人だと聞いて、もしかしたらと思った。
僕は街中に入って、君を見つけた。
君は、黒いスーツを着たマフィアだった。
何人かの同じような男に囲まれて、笑っていたね。
僕はそのとき、分かったんだ。
もう、時間がないって。
君の心が、侵されてしまうって。
早く、早くしないと、君は心の底からあいつらの…大人の思惑に染まりきってしまう。
それからしばらくは、ずっと君達を見てた。
君の周りに居る男共は、皆が嫌な顔をしていた。
そこに、あの六道骸がいたのにも驚いたし、正直彼にはガッカリした。
マフィアに入るなんて。
ね、、僕は君を助けに来たんだ。
ね、、どうしてそんなに悲しむの?
大丈夫、僕が助けてあげるから。
君は僕が守るよ。
君は、マフィアなんか好きじゃないんだろう。
大丈夫、僕と一緒にいれば。
僕は、君の奥深くの気持ちまで分かってあげられる。
ねえ、どうしてそんなに悲しむの?
「違うの、私は、私はね…」
× × ×
夕日が差し込む、殺風景な部屋。
その隅で、膝を抱えて座り込むスーツを着た女。
足や手、顔などに細かい切り傷がある。
一人で、何かを呟いている。
「忘れていて、ごめんなさい。ありがとう」
時折、嗚咽が混じる。
「だって僕は…君が好きなんだ。うん、痛いほど分かるよ、私にもあなたの気持ちが。そうだよね、だって僕らは共有してるもの」
泣きながら、膝を抱えるその姿は、まるで幼い子供のようだった。
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