二度目に会ったのは、雨の降る日。

帰り道、突然の雨に降られ私は慌てて近くの軒下に入る。

目の前を走る車を目で追いながら、運よくタクシーは通りかからないかと期待する。

私の正面の車道を走っていた車が一台、目の前で停車した。

誰かの送迎だろうかと興味なく目をやると、開いたドアから降りてきたその姿はグラハム・エーカーだった。









#2. In the rain















車の窓に雨粒が当たるのを眺めた。

私の左隣に座り、ハンドルを握るグラハム・エーカーの姿がガラスに映る。


「雨で足止めされている君を見かけたら、車を止めずにはいられなかった」

「ええ、助かりました。ありがとう」


グラハム・エーカーは前を向いたまま私に話しかける。

私は右にある窓に映る彼へと返事をした。

どうも、彼は苦手だ。

今まで何度も色んな男にアプローチされてきたが、一度素っ気無くしてしまえば大抵、皆潔く身を引いた。

しかしこの男は、そんなもの意にも介さないようで。


「今日は仕事の帰りかな?」

「ええ。外回りだったので。エーカーさんもお仕事の帰りですか?」

「そうだが……君、いい加減その口調はやめて貰えないか?」

「はい?」

「グラハムと呼んでくれて構わないし、もっと砕けて話して頂きたい」


彼が私との距離を縮めようとしているのが分かる。

初対面で手にキスをするような男だ、積極的だという以外の言葉など当てはまらない。

当然、私が彼からの好意を察している事だって分かりきっているだろう。

どこまで本気なのかは分からないが。


「ありがとう、エーカー。これでいい?」

「グラハムと、呼んで欲しいんだがな」


苦笑する彼の言葉は聞こえないフリをする。

なんとなく、彼の言うとおりにすることが悔しかった。

「君の家まで送ろう」と言ってくれた彼に、自分の家までの道のりを案内する。

彼は道路脇に標識が見える度に、道を確認してきた。

私はそれに頷き、時には進路を指す。

前方に明りが見えた。

私の自宅に一番近い、深夜経営のショップだ。


「エーカー、そこで降ろして」

「……君の家、ではなさそうだが」

「そこからすぐの場所なの」


彼は前方に見える明りを見て眉を寄せる。

私は早々にシートベルトを外し、降りる準備を整えた。


「送ってくれて有難う。後日、何かお礼を」

「雨は大丈夫なのか?」

「そこの店で傘を買って帰るわ」

「なるほど、下心の見える男を家まで案内する気はない、と?」


全く悪びれる様子なく、エーカーが私を見た。

同じように私も、悪びれることなく頷いてみせる。


「ええ。お茶を出すつもりもありませんので」

「それならば、話は別だ」


そう言うが早いか、エーカーはショップの駐車スペースに入る。

車を停めるのかと思いきや、アクセルを踏み込み方向を転換し、そのまま元の道に戻った。


「え? ちょ、ちょっと――」

「私は君を家まで送ると言った筈だ」

「でもこれ、もと来た道を戻ってるんじゃない?」

「そうだ」


そうだ、じゃないでしょ……と言いかけて、有無を言わさない彼の表情に言葉が詰まる。

来た時よりも明らかに早いスピードで遠ざかっていくショップの明かり。

窓に打ち付ける雨は未だ止みそうになく、経営を終え明りの消えた建物たちが流れていく。


「……何処に?」

「私の家だ」

「……」


あまりにも迷いのない彼の言葉に絶句する。

ここまで全面に内心を出されたのでは、下心どころではない。


「降ろしてください」

「君を私の家に送ろう」

「そんな屁理屈……」


走行中の車の中、しかも運転手はエーカーだ。

これ以上何を言っても無駄でしかないと気付いた私は、喚くのをやめ椅子に深くもたれた。

ただでさえ外回りの仕事で疲れているのだ、これ以上無駄な体力を使いたくない。

黙ってしまった私に満足したように、エーカーが私を見た。


「君はもっと騒ぐかと思ったが」

「無駄なことはしない主義なの」

「なるほど。その潔さに益々惹かれてしまうな」


調子のいいことばかりな彼の言葉に返事をしない。

私は再び窓から車が行きかう車道を眺めた。

外したままのシートベルトが少しだけ体に違和感を与えたが、これで警察にでも止められてしまえば万々歳だとせこい事まで考えてしまう。

窓の外を流れる景色は、まだまだ自分に見慣れたもので心細さはない。

仕事柄、街を移動することも多い為、道に関しての土地勘はかなりある。

この道の先に、いずれ訪れるチャンス。

車が、前方に見える信号の赤い光を確認し、動きを止めた。

私はその隙を逃さず、ドアを開ける。

元々は私を降ろす為だったドアだ、ロックはかけられていない。


「今日は有難う、エーカーさん。おかげで元居た位置より遠い所まで来ることができました」

!」

「さようなら」


嫌味たっぷりに言い放ち、私は車のドアを思いっきり閉めた。

慌てたように私を呼ぶ制止の声など聞くつもりもない。

先ほどより激しくなった雨が私を打ち、鞄を庇うように上着をかけた。

信号で止まったままの車の間を縫うように歩き、歩道につく。

信号の色が青くなるのを見た。

エーカーの車は渋ったように動きを止めていたが、後ろの車からのクラクションに促され緩やかに動き出した。

その車を見送って溜め息をつく。

既に全身がずぶ濡れだ。

こんなことなら、最初から濡れて帰ればよかった。

こんな体ではタクシーを止めたところで嫌な顔しかされないだろうし、最早どれだけ濡れても同じだろう。

鞄を包んだ上着も既に色が変わりきっており、無駄な抵抗だったことを示す。

大切な書類を持ち運んでいなくて本当によかったと思う。

苛々しながら元来た道を歩く。

次にカタギリに会ったら、八つ当たりをしようと心に決める。

そもそも、カタギリがあんな男を紹介してこなければよかったのだ。

これは正当な八つ当たりだ。

水溜りも気にせず、荒々しく地を踏みしめる。


パシャ


私の歩みと並行する筈の水音が、もう一つ余計に聞こえた。

駆けて来るように、後ろから足音が近付く。


!」


腕を引かれ、うんざりしたように相手の顔を見る。

雨に打たれて、私と同じくずぶ濡れになったグラハム・エーカー。

私は返事をせず、彼を睨みつけ、腕を荒く振り払った。

しかし彼は引かない。

もう一度私の腕を掴み、今度は痛いほどに固定する。

動かなくなった手をそれでも振り払おうと力を込める。

全く離せない彼の腕は、一層力強さを増した。


「君は、無駄なことはしない主義では?」

「貴方に触れられることがどんなに不快かということを主張してるの」


私の剣幕など気にもせず、彼は嫌味っぽく笑って私の腕を引いた。

再び、歩道を歩き出す。

しかしまたしても、それは私の家とは反対方向だ。


「エーカーさん、どちらに?」

「グラハムだ」

「……エーカー、何処に行く気?」

「……私の車だ。近くに停めて来た」


しつこすぎる。

あまりのしつこさに、どっと疲労感が押し寄せてきた。

それともむしろ、一度相手をしてやった方が案外すんなり諦めてくれるのだろうか。

そんな考えが頭をよぎったとき、珍しく大人しい声を彼が出した。


「すまない」

「……は?」

「君をこんな風に扱うつもりはなかった。少し、焦ってしまった」

「こんな風、とは?」

「土砂降りの中にさらしてしまうことと、こんなに怒らせてしまうことだ」


まさか彼は自身の行動に私が身を任せるとでも思っていたのだろうか。

要するに、あまり先を考えなかったのだろう。

しかし反省しているらしい彼をこれ以上攻め立てられるほど私も鬼ではなく、口を噤んで大人しく彼に引かれるまま歩いた。

道脇に駐車してある彼の車に乗り込む。

当然、私もエーカーも全身ずぶ濡れで車の中まで水浸しだ。

警戒心剥き出しでシートベルトを締めず、ドアも半ドアのまま。

雨が車内に振り込んでくるのは、いっそいい気味だ。

そんな私を見て、困ったようにエーカーが笑う。


、ドアを閉めてくれ」

「これから、何処へ行くのかによりますけど」

「君の家だ――いや、先ほどの店先の駐車スペースまででいい」

「真っ直ぐ、行って頂けます?」

「誓おう」

「残念ながら私、軍人の誓いほどアテにならないものはないと思っているので」


キョトンとしたように私の言葉に首を傾げる。

軍人なんて、平気でできもしない誓いをする。

それが、私の父だった――。


「では、どうしたら信じてもらえるだろう?」

「ドアのロックはせず、シートベルトも外したままで」

「……分かった」


エーカーの返事を聞いてドアを閉める私に、安心したように息をつき、エーカーは車を起動した。

車内での会話はなかった。

何を言われても私はもう返事をする気すらなかったし、彼も流石に肩身が狭いのだろう。

ただ雨のせいで貼り付いた服や髪が鬱陶しかった。























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