車が停まる。

深夜経営のショップの明りが私の足元を照らした。

私は黙ったままのエーカーを見る。

何を考えているのか分からないが、しおらしく黙ったままフロントガラスを見ている。


「ありがとう、エーカー」

「いや、今日はすまなかった」


しょんぼりという擬音が似合いそうな彼の横顔が、どこか幼くて可愛さすら感じさせた。

雨は先ほどより小降りになっているが、止む気配はない。

私は車を降りようとし、今の自分の姿をサイドミラーに映した。

ベッタリと貼り付いた髪に、服。

よくよく自身の体を見れば、白いシャツは透けている。

下にアンダーを着ているのでさほど支障はないが、この格好で店内に入るのは流石に躊躇われた。

エーカーを見ると、彼はまだ自己反省中のようだ……恐らく。


「……エーカー」

「なんだ」

「もし良かったら、家の前まで送って頂けない?」

「は……?」

「この格好じゃ歩けないわ」


驚いたように私を見たエーカーが、少し嬉しそうだった。

少しだけ面白くなって、からかってみる。


「もちろん、無理にとは言わないわ。突然だもの、我侭言ってごめんなさい」


そう言って車を降りるふりをすれば、彼は慌てて私の腕を引いた。


「まさか、そんな! 構わないさ。乗ってくれ!」


勿論、車を降りる気などなかった私は簡単に座席に座りなおす。

エーカーは張り切ったように車を再び動かした。

私は彼に、家までの道を案内する。

父が建てた家が見えてくる。

父がいなくなり、母が死んだ今、一人で住むには広すぎるとも言える一軒家だ。

車を門前に停めてもらい、私は鍵を出した。

ずぶ濡れになった体は、車内の空調で温められてはいてもドアを開けると途端に冷える。

門の鍵を開けようとしたとき、背後の車内から曇ったくしゃみが聞こえてきた。

私は車に向き直り、中を覗く。

助手席に置かれた私の鞄と上着、その向こうの運転席に座っているエーカー。

もちろんエーカーも私と同様、全身ずぶ濡れだ。

くしゃみが曇って聞こえたのは、彼が私に気を遣わせないための配慮だろう。

それに気付いてしまっては、流石に無視できない。


「エーカー、上がっていく?」

「……なんと」

「その格好じゃ、風邪ひくわよ」

「感謝する」


随分と大人しくなったエーカーは、セリフの長さも随分と短くなった。

きっと、彼のテンションに比例するのだろう。

そんなどうでもいい発見をするが、心底どうでもいいので嬉しくもなんともない。

彼は車のエンジンを切り、運転席から降りた。

水の跡を残す車内も後でなんとかしなくてはいけないだろう。

一先ず開いた門にエーカーを迎え入れ、玄関へと案内した。

入り口のドアを開け、電気をつける。


「その右側のドアの部屋にいて。タオルを取ってくるから」

「ああ」


右側にあるドアを指差し、私はシャワールームへ向かう。

バスタオルで体を拭いて、それから着替えはどうしようかと考える。

男物の洋服がない。

父のものを引っ張り出してもいいが、母が死んで以来出していないのでどうなっていることやら。

とりあえず、お礼に温かいお茶でも出して、ヒーターで温まって貰えばいいか。

私は棚からバスタオルを二枚引っ張り出し、エーカーを案内した応接室へひき戻った。

応接室のドアを開けると、物珍しそうに室内を見回す彼の姿。


「はいこれ、バスタオル」

「ありがとう」


普段客を迎えることのない応接室は、何の装飾も施されていない。

ただ、テーブルとソファが中央に置かれている。

私の手に余るものがないように、殆どの物は取り払ってしまった。

流石に濡れたままソファに座ってもらうわけにもいかないので、部屋の隅にある簡単な木椅子を引っ張り出す。


「これに座ってて。温かいお茶でも淹れて来るわ」

「……」


私の差し出した椅子を見つめるエーカー。

何かを考えているような、真面目な顔をしている。

彼のおかしな考えなど読めないので、私は気にせずキッチンへ向かう。

お湯を沸かす間に服を着替えてしまおうと、これからの行動の順序を頭で組み立てる。

応接室のドアを開けて、部屋を出ようとすると――





突然、耳元でエーカーの声が聞こえた。

気付いたときには既に遅い。

彼の腕が私を捕らえていた。

後ろから私の腰に腕が回り、彼の息が首にかかる。


「……エーカー、反省したんじゃないの?」

「ああ」

「私は貴方を信じたんだけど?」

「その信用に足るように、君を確かに家まで送り届けた」

「これじゃ、本末転倒ね」

「分かっている」


エーカーの手が、シャツの襟を開く。

首筋に彼の口の感触が触れた。

私の体を捕らえた彼の腕は、身体的な抵抗が無意味であると主張する。


「エーカー、放して」

「すまない、。私は非常に我慢弱くてね」

「私は、我慢強い男が好きだわ」

「これからは我慢弱い男を好きになる」


この自信はどこからくるのか、呆れ返る。

そうこうしている内に、いつの間にか彼の手がシャツのボタンを外していた。

濡れたままのシャツが、最後の抵抗とばかりに私の肌に貼り付くが、あっけなく離された。

私と同様に濡れたままのエーカーのシャツが、私の肌に触れる。

雨のにおいも、シャツが吸い付くような感触も、私の肌に跡を残そうと這う彼の口も、全てが不愉快だった。

行為の中止を求めるように身を捩じらせると、後ろにいた筈のエーカーが目の前に移動した。

正確に言えば、私の動きを利用して向き直させられただけなのだが。

腰に回された二つの腕が、軽々と私の体を浮かせる。

地に足が付かぬまま、私は彼の背中を叩く。

そんな抵抗も空しく、気がつくとそのままソファの上に運ばれていた。

久しぶりに人を乗せるソファが、ギシと音をたてる。

その音が雰囲気を助長するようで、憎らしく感じた。

応接室で客人を迎える為に存在する一昔前の高価なソファは、二人分の体重を受けて私の体を包むように沈んだ。


「ちょっとエーカー。このソファ、結構高価なものなんだけど」

「弁償してもいい、もっといいソファを買ってもいい。今ここで君を手に入れられるならば」

「一度寝てあげれば、満足なのね?」

「違う」


私の言葉に、エーカーがきっぱりと答えた。

睨むように私の顔を覗き込みながら、乱暴に口と口を合わせる。

口内に入り込んでくる彼の舌が与えるのは、快楽ではなく不快感。


がり


エーカーの唇を噛むと、私の口内に鉄の味が広がった。

恐らく彼も同様の味が広がっているに違いない、その上痛みを伴っている筈だ。

それでも離れない彼の舌は、より荒く私の口内を弄った。

やっと離れたときには、互いの息が荒くなっていた。

ただの生理現象にすぎない私の息の乱れを満足そうに見る彼の目を潰してやりたいと思う。


、今の私には君の与えてくれた痛みすら、愛しい」

「……私、貴方にそんなに愛されるようなことをした覚えがないんだけど」

「愛とは、与えられることで生まれるわけではないだろう」

「フラッグの祝賀パーティーで話しただけで、こんなことをしたいと思ったって?」

「それ以前から、君を見ていた」

「どこで?」

「フラッグの格納庫に行く度に、君の姿を探していた。カタギリと話をする君を見ていた。仕事への直向きな目を私に向けさせたいと思っていた」

「……気付かなかったわ」

「そうやって余計なものを排除して、真っ直ぐ働く君の姿にどうしようもなく惹かれた」


フラッグのテストの為に、何度も格納庫へ足を運んだことを思い出す。

カタギリやエイフマン教授と話をし、打ち合わせを何度も繰り返した。

確かに、あの場の何処かにエーカーがいたとしてもおかしくはない。

そういえば、カタギリが何度かテストパイロットを紹介しようと言っていたのを必要ないと断った。

そうか、あの時、きっとカタギリの後ろに彼が立っていたのだろう。

あの祝賀パーティーの時の様に。

しかし、それが分かったからと言って、何が変わるかといえば何も変わらない。


「それは分かったけど、これは急ぎすぎじゃない?」

「濡れた君の姿があまりにも扇情的で、耐えられなかった」

「初めて会ったときから、わりと急ぎすぎだったけど」

「君に私を認識してもらうまでに、どれだけ焦らされたと思っているんだ」

「焦らした覚えはないけど。少なくとも私、強姦された相手に好意を抱くことはないわよ」


私の言葉に、エーカーは不愉快そうに顔を顰めた。

彼はそこで初めて動きを止める。


「一度寝てあげたら満足して二度と顔見せないでくれるっていうなら、考えないこともないけど」

「勘違いして貰っては困る。私が欲しいのは君の体じゃない」

「言葉と行動が一致してなさすぎるんじゃない?」


私は押さえつけられた自分の体を見る。

縛るように絡みつく腕と、無理やり開かれたシャツ、たくし上げられたアンダー。

私の体を改めて見るエーカー。

不意に力が緩み、彼はゆっくりと起き上がった。

再び、ソファのスプリングが軋んで音をたてる。

私も、軽くなった上半身を起こす。

彼は開いた自身のシャツの前をしめつつ、顔を逸らしたまま言った。


「すまないが、トイレかシャワールームを借りれないだろうか」

「勝手に使って」


溜め息をついて場所を説明すると、彼は部屋を出て行った。

立ち上がると、ソファにベッタリと水跡が残っている。

どっと疲労感が押し寄せ、部屋の空調を設定した。

一先ず応接室から出、自分の部屋に向かう。

もう絶対にエーカーを信じまいと決め、部屋に入って明りをつけた。

ドアの横に置かれた鏡を覗きこむと、乱れた髪と服を纏った自分が立っている。

首周りに赤い跡が見える。

再び溜め息を大きくついて、服を着替える。

シャワーを浴びたかったが、今はそうもいかない。

赤い跡を隠せるようにタートルネックの服を選びつつ、明日仕事へ行く時はどうしようかと悩む。

全くもって迷惑この上ない男だ。

キスマークをつけるならつけるで、その場所くらい考慮してもらいたい。

着替えて髪を整え、応接室に戻るが、まだエーカーの姿はない。

お茶を淹れてあげるかどうか少し迷い、怒りが先立ったのでインスタントで自分のコーヒーだけいれた。

カップを持って応接室に戻ると、エーカーが立っていた。


「貴方の分はないわよ」

「分かっている」


やや温かくなった部屋で、彼のシャツは湿ったようになっていた。

ソファに残る水跡はまだ全然消えていない。

エーカーは、その水跡に目をやって少し照れたように頬を赤らめた。

あまりにも腹が立ったのでカップをテーブルに置き、エーカーの頬を叩く。


パン


我ながら綺麗に音が鳴ったものだと感心する。

一気にエーカーの頬が腫れるが、何故か彼は赤くなった頬を手で撫でるようにして笑みを浮かべた。


「次はないわよ」

「ああ。すまなかった」


そう言うとエーカーは木椅子の背にかけていた彼の上着を手に取り、部屋を出て行った。

彼の背中がドアの向こうに消えるのを見る。

しばらくすると、車の動く音が聞こえ、しだいに遠ざかった。

温かいコーヒーを飲み干せず、半分残したまま私はシャワールームに向かう。

服を脱ぐと、シャワールームにある大きな鏡に自分の姿が映った。

赤い跡は当然残ったままで、異様な存在感がある。

その一つ一つを潰して消せるのなら、どんな痛みも我慢できるのにと思うと、鏡の中の私は不機嫌さを露にして顔を歪めた。






#3. 彼の

































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