ホテルのデスクに座りノートパソコンを広げる。 早速、今日の昼に見てきた人革連の演習について報告書を作成。 自分のメモを探りつつ、記憶を引き出す。 ざっと作成したものをユニオンの本部にある自分のパソコンへと送信した。 モニターに書かれた『送信完了』という文字をみて、一息つく。 窓の外はもうすっかり暗くなっている。 報告書の送信が終わったので、あとは寝るだけだ。 傍らに置いた携帯電話を見る。 サイレントにしたままだったことに気付き、履歴をチェックするが着信もメールもなかったようで安堵する。 ふと、アドレス帳を見る。 今だ登録しないままのエーカーの名前。 鞄を開き、彼から手渡されたメモをアドレス帳に入力した。 #8. The invisible invader 旅客機から降り、モノレールでユニオン本部へ向かう。 空が赤らんで、もう間もなく日が沈むことを示している。 最寄り駅から、見慣れた道を歩く。 今日はこのまま、上司に戻ったことを報告したら家へ帰れる。 エーカーに会ってから、予想より少し早く2日で帰ってこれた。 律儀に電話をする義理はないし、連絡を入れるのはまるで車での送迎を催促しているようではないだろうか。 しかし電話をすると約束はしている。 どうすべきかを考えつつ、携帯電話を手に持った。 今の時間はエーカーもまだ軍で活動中ではないだろうか。 しかし私は、彼の都合の良い時間など把握していない。 グダグダと考えを巡らす自分が嫌になり、思い切りアドレス帳に登録してあるアドレスを押した。 忙しいのなら出なくていいのだ、どうせ履歴に残る。 そうであれば約束を果たしたことになるし、送迎はいらないとハッキリ告げればいい。 「君の電話を心待ちにしている」そういった彼の少し火照った笑顔が浮かんだ。 電話のコール音が鳴る。 しばらく待つが、彼は出ない。 その内、留守番電話の録音対応メッセージが聞こえ、そのまま電話を切った。 ああ、そういえば彼は私のアドレスを知らないままなのだった。 この番号が私のものだと、分かるだろうか。 分からなくても、折り返し電話くらいはするだろう。 何故か少しガッカリしている自分を押し込めるために、頭の中がいっぱいになるくらい考え事をした。 電話がかかってきていたことに気付いたのは、上司への報告を終え、自分のデスクで昨夜送信した報告書を確認しているときだった。 携帯電話に目をやると、先ほど上司と話していたときに着信が入ったらしい履歴が残っていた。 タイミングの悪い男だと、もう一度電話をかける。 コール音が一つ鳴り終わらないうちに、焦ったような彼の声が聞こえた。 「もしもし!?」 「……もしもし、エーカー? 私、ですが」 「やはりか! すまない、すぐに電話に出られなくて。ちょうどミーティング中だったもので――」 「別に構わないわよ。私の方こそ忙しいときにごめんなさい」 「そんなことはない! もう戻ったのか?」 「ええ、今日帰ってきたわ」 「そうか、すぐにでも君に会いに行きたい、ところなのだが……実は私も、昨日から急な遠征でしばらくそちらを離れているんだ」 「あら、そうなの?」 「フラッグを使えば君にすぐに会いに――」 「言うまでもないでしょうけど、やめてちょうだい」 私の言葉に彼が小さく笑った息遣いが聞こえた。 彼にしては珍しく、冗談を言ったのだとその時気付く。 いつも彼は冗談のようなことを本気で言ってしまうので、区別がつきにくい。 エーカーの様子を聞くと、どうやらカタギリも一緒らしい。 環境の違う地での性能実験や訓練というところだろう。 頑張ってと軽く伝え、通話を終えようとするとエーカーが名残惜しそうに声を出した。 「私からも、君に電話をしていいだろうか?」 「嫌よ」 「そう言われても、電話をしたくなったら電話をする、それが私だ」 「じゃあ聞かないでよ」 「君からの快い返事を期待していたんだ」 別段、ガッカリしている風もなく彼は言う。 彼のことだから、私が嫌だといっても聞かないだろうことを薄々感じていた。 当たったからと言って嬉しいわけではないが。 通話を終えるときエーカーが「愛してる」と電話口で囁いた。 一見芝居じみた、まるでロマンチストのような行動だが、彼はそれを素でやっているのだと気付くと笑い飛ばせなくなり困った。 建物から出るとき、当然のことながら彼の車は停まっていなかったし、彼も立っていなかった。 お互いに時間が合わないことなど珍しくもないのに、何故か今日はやたらとそのスペースが広く感じた。 × × × 電話を切ったグラハムは、抑えようとしても溢れ出るような微笑を口に浮かべた。 あまりにもニヤニヤとするグラハムにカタギリが苦笑する。 「今の電話、もしかして?」 「ああ、もちろん。電話の終わりに愛を囁けるなんて、まるで恋人同士のようだとは思わないか?」 「それは驚きだね。彼女が君に愛を囁いたって?」 「いや、私が彼女にだ!」 「……いつもと変わらないんじゃない?」 「電話越しだというところが、いつもと違っていいのではないか!」 「……そう」 グラハムは電話の着信履歴を見る。 今かかってきたからの着信と、それ以前に入っていた不在着信。 その二つを見るだけで、無性に心が弾む。 「重症だな、私は」 抑えられない微笑を浮かべたまま、そっと電話を閉じた。 << ○ >> |