冷たい水で顔を洗い頭を上げると、朝特有の冷えた空気が私の肌を撫でた。

正面に佇む鏡の中から、無愛想な自分が私を見ていた。

首筋に視線を落とすが、そこにはもう彼の残した痕はない。

いつの間に跡形もなく、一つ残らず消えてしまったのか、意識を向けることすら忘れていた私には分かりようもなく。

昨夜のように、受け入れてもいいかと思うほどに彼を不快に思わなくなったのも、いつからか分からない。

それは静かに、私の寂寥に潜り込めるほどに、さり気ない存在となって住み着いてしまっていたのだろう。











#11. 去り行く



















カタギリの部屋に行くと、偶然にもエーカーがいた。

大きな強化ガラスの向こうに立つフラッグを見ながら、何やら話し込んでいる。

ドアの開く音で二人は同時に私に気付いた。


「カタギリ、これ今月の予算案なんだけど……」

「ああ、ありがとう。後で目を通しておくよ」


そう言って書類を受け渡すカタギリと私の横を黙ってエーカーが通り過ぎた。

彼は私と目を合わそうとしないまま、部屋から出て行く。

エーカーの背中を目で追ったカタギリは一瞬ポカンとした後、不思議そうに私を見た。


「……何かあったの?」

「まあ、少しね」

「少し、ねえ。彼があんなに極端に人を避けるなんて、よっぽどだと思うんだけど」

「そうかもね」


私の言葉が続くことを期待したカタギリの目に視線を合わせないようにし、私はガラス越しのフラッグを見た。


「機体の方はどうなの?」

「順調だよ。すぐにでも実戦に出せるくらいにはね」

「そう」


予想通りの答え。

カタギリとエイフマン教授の技術にも、パイロットの腕にも、心配なんてしていない。

私が逸らした話の軌道を知ってか知らずかご丁寧に戻したカタギリは、グラハムと仲直りしなよとお節介という名の親切心を押し付ける。

投げやりに返事をしつつ、強化ガラスを覗き込んでひたすら格納庫の中を観察していると、遂に彼は苦笑いを浮かべて黙った。

私の隣に並び、そっとガラスに手を触れる。


「今、グラハムをリーダーにしたフラッグの編成を組み立てているところだよ」

「フラッグの能力に追い付けるパイロットは何人くらい?」

「まだこれからの訓練しだいだね。ただ……」


一度言葉を切り、彼は私へ顔を向けた。


「グラハムは、初乗りで既に予想されていたフラッグの性能を超えてみせた」

「具体的に言えば?」

「不可能だと思っていた空中変形を誰から説明されるわけでもなく、自分の判断だけでやってのけたんだ。僕や、エイフマン教授の想像を越えてね。ほら、以前映像で見せたことがあっただろう」

「書類上の数値でも、エーカーがテスト飛行する前と後では大きな変化があったわ」

「そうなんだよ!彼は凄い男だよ。優秀だし、真面目だし、部下思いで将来性もあって――」

「そんなに彼が好きなら、あなたエーカーと結婚しちゃいなさいよ」

「……」


カタギリは拗ねたように物言いたげな目で私を見た。

彼の言わんとすることが手に取るように分かり、私は思わず笑う。

冗談よと言うと、カタギリはガッカリしたようにまたフラッグへと向き直った。


「どうしてカタギリはそんなにお節介なのかしら」

「……なんとなく、グラハムが君を追いかけてる姿が、僕にかぶるんだよねえ」

「なるほどね。じゃあまずは、人の心配より自分の心配したら?」


「……グサリとくるね」落ち込んだようにガラスに額を当てるカタギリ。

その姿が少し可哀想に見えて、思わず同情してしまった。


「エーカーとのことは……」


私が口を開くと、彼は頭をガラスに置いたまま私に視線を向けた。


「今回は私が悪いの。だから、後で謝っておくわ」

「……そう」


私の言葉に少し安心したように、カタギリは再び格納庫へと視線を戻した。





「ちなみに空中変形はグラハムにしかできないから、グラハム・スペシャルと名付けたのは僕なんだよ」

「……そのネーミングは、どうかと」

「え?」


誇らしげに言い放ったカタギリは、私の言葉に本気で不思議そうな顔をした。

そのネーミングセンスはどうやら彼の素らしい。










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