カタギリの部屋を出ると、私は人気のない廊下を歩いた。

格納庫の側にあるこの棟と、私の所属する部署の部屋がある棟は少し距離があった。

歩きながら、先ほど隣を素通りして行ったエーカーを思い出す。

ひどく思わせぶりなことをして彼を困惑させてしまったと自覚している。

雰囲気と寂しさに流されて最低なことをしてしまった。

そして何より大きいのは彼への罪悪感ではなく、自分への失望だ。

一瞬でも男に逃げようとした、縋ろうとした自分が許せない。

昨夜の失態を思い出すと羞恥と情けなさで体中が疼くほどだ。

エーカーに謝罪しなくてはいけない。

そして忘れてもらいたい。

彼に会ってどう謝ろうかと考える。

電話をかけたら、とってくれるだろうか。

私の顔も見ないほど怒っているのなら、難しいかもしれない。

……もしかしたら、既に愛想を尽かされてしまったかもしれない。

自分らしくもない醜態だったと自覚しているだけに、それも十分あり得る話だと思う。


もう、私に興味を抱かないエーカー。

もう、私を見ないエーカー。


目を合わそうとしないまま、私を素通りした彼の姿が何度もフラッシュバックする。

このまま、時間をかけて、私達は赤の他人に戻るのかもしれない。

数年後、そういえば軍の同僚とこんな事があったのよと、飲みの席で笑い話になるような、そんな関係に、存在になってしまうのかもしれない。

少し前なら、当たり前のようにそうなることを受け止めていた筈の私が、胸の中でくすぶる何かを感じた。



それは、炎と呼ぶにはあまりにも小さく、煙すら立たない、見えないほどの――。



近くで私を呼ぶエーカーの声がする。

それすら最早現実なのか幻聴なのか、ただ私の願望にすぎないのか判断できず――。


!」


突然腕を掴まれ、私の意識は急激に現実を認識した。

離れないようしっかりと握られた腕の先にいるのは、つい今し方考えを巡らせていた対象であるエーカーその人だ。

彼は私の腕を引くと、すぐ横にあるミーティングルームのドアを開けた。

私は彼の引力に逆らうことなく歩みを進める。

先に立って部屋へ入る彼に続き私も部屋の敷居をまたぎ、自分でドアを閉めた。

無言のままエーカーは私に振り向いたかと思うと、ゆっくり彼の手が私に向かう。

てっきり私を無視するものだと思っていた彼の行動が全く読めない私は、ただ呆然と彼を見守った。

彼の手が私のすぐ隣の壁に添えられる。

気付けば壁とエーカーに閉じ込められる形になっており、そこでやっと私は今の状況を理解した。

私の視界を埋めてしまう程の彼の顔を見て、今にも触れそうな彼の唇に慌てて指をそえる。


「あの、エーカー……」


戸惑ったような私にキスを拒まれたことを少し不満そうにしてエーカーが私を見る。


「昨日は、本当に申し訳ないことをしたわ。ごめんなさい」

「何のことだ?」


皮肉でもなく、おそらく本当にそう思って、彼は首を傾げた。

全く予想外な展開に首を傾げたいのは私の方だ。


「貴方、怒ってるんじゃないの?」

「何故そう思うんだ?」

「だって貴方、さっき私のことを見ようともしなくて……」

「カタギリの前で君を抱き締めたら、君が怒ると思って私にしては珍しく我慢をしたつもりだったのだが」

「……え?」

「もしやそんなことを気にしなくても良かったのか!?」

「いえ、気にしてもらいたいけれど……」


彼からの意外な言葉に、自分の歯切れが悪くなる。

頭でシミュレートしていた会話が全て別の方向へ向かってしまい、正直に言えば珍しく混乱している。


「昨日君に触れてからというもの、もう一度君を抱きしめたいと、口付けたいと思っていた。君を見たらその欲求が抑えられなくなりそうだったぞ!」

「……昨日のこと、怒ってないの?」

「だから何故だ? 昨日君は初めて私を拒まなかった。それだけではない、君から私にキスをしてくれたではないか」

「頬に、だけど……」

「だがそれは、今までに比べると大きな進歩じゃないか」


段々と昨日から悩み続けていた自分が馬鹿馬鹿しくなってきた。

何という思考回路。

あまりにも考え方が私と違いすぎた。

呆気にとられた私は不覚にも口を開いたままポカンとしてしまったようだ。


「どうした、君にしては珍しく間抜けな顔をしている」


私は慌てて口を閉じ、失礼ねと彼の額を小突いた。


「エーカーはとてもポジティブなのね」

「惚れ直したか?」


ええ少し、と言いかけて止める。

冗談でも軽口でも、何となく今はそういう言葉を口にしてはいけない気がした。

それは相手への思いやりなどではなく、自分への戒めとして。

口を噤んだ私に構わず、彼は両腕で私を包んだ。

変わらず温かい彼の体温が伝わってくる。

首筋に彼の髪が触れ、少しくすぐったい。


「あの、エーカー」

「なんだ」

「私、仕事中なんだけど」


エーカーの肩に手のひらをあて押し戻そうとする。

最初は少し渋った彼だが、私の言葉を聞いて身を引いた。


「では仕事が終わったら――」











#12. 小さな
















――だがしかし、見えない部分でくすぶる火こそ、少し風が吹けば燃え上がる、消えることのない確かなものだ。







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