カタギリ技術顧問は目の前に置かれた口のつけられていないティーカップの中で波打つことを止めた紅茶を見つめ、ため息をついた。 タイミングよくドアの開く音が聞こえ、浮かない顔をしたカタギリの方へと足音が向かう。 カタギリは足音の主を確認することなく、話しかける。 「やあ、グラハム。君はまたと喧嘩でもしたのかな?」 机を挟んでカタギリの向かいに座ったグラハムは、意外にも表情を崩すことなく淡々と答える。 「心外だな。それでは頻繁に私と彼女が喧嘩をしているように聞こえる」 「を怒らせたのかい?」 「私が彼女の怒りをかうようなことをする筈がないだろう?」 「いや、それは……わりと頻繁に」 「回りくどいぞ! 結局カタギリは何が言いたいのだ」 「いや、だからと何があったのかと――」 つい今し方まで目の前で話をしていたが、もうじきグラハムが来ることを伝えた途端、用意した紅茶に口をつけることなく部屋を出た。 あからさまに避けている。 つい先日は、しおらしくグラハムに謝ると言った彼女のあの変わりようはどういうことか。 「ああ、もう私とデートをする気はないとハッキリ言われたな」 「それは君が原因でかな?」 「まさか。彼女の気持ちの問題だ」 「と、言うと?」 カタギリが話の先を促すと、グラハムは机に肘をつき手を組んだ。 組んだ手で口元を隠すと、少し考えを巡らせるように目をそらし、俯く。 口を開いたとき、彼は慎重に、自分の意見を確認し確信するかのようにしっかりと言葉を発する。 「彼女は臆病だ。何かを失うことに敏感で、それを恐れている。失うことが怖いから、得ようとしない」 「それは、君から見た彼女の印象?」 「最初は勿論、そんな風に思わなかった。ただ……」 「……ただ?」 「見ていたんだ、空を」 空を見上げる彼女の目には、きっと亡くした父親が映っているのだろう。 彼女は父親を追いかけて、空を見つめ、大切なものを奪われないように空へと手を伸ばす。 彼女の手が空に届く日はこないだろう。 空が何も奪わなくなる日など、きっと来ない。 それでも彼女は空を見つめ続ける。 失うことに怯える臆病な彼女はしかし、空から逃げようとはしなかった。 失いたくないのであれば、軍になど入らず、守られた世界で生きていればよかった。 「だが彼女はそうしなかった。彼女の瞳に映るのは穏やかに何処までも続く青空ではない。偽りの安穏とした膜を通すことのない、無慈悲で圧倒的な差を見せつける空だ」 だからこそ、彼女の瞳に映りたいと思ったのだ。 彼女の瞳に映ることこそが、私が空を手に入れた証となるような気がして―― 「だけど、それじゃまるで、の父親みたいだ」 「そうだな」 「すると君は、彼女を置いていく為にを捕まえようとしているってことかい?」 「おいていきたいわけではない。今は、もう」 じゃあ最初はどうだったんだよと呆れたカタギリの言葉をグラハムは薄い笑みで流した。 「一応、僕の友人でもあるんだから。に悲しい思いはさせないで貰えるかな」 「熟知しているさ。私とて、彼女に悲しい思いなどさせたくはない。は毅然と立っているからこそ、美しいんだよ」 嘆き悲しむ様など、彼女らしくないと言い切ったグラハムは、そういう話ではないとカタギリを更に呆れさせた。 「とにかくを幸せにするつもりはあるの?」 「勿論だと言わせて貰おう」 「じゃあ、もう一度と話ができるように仲介しようか?」 「必要ないさ」 グラハムが申し出を断ったことが予想外で、カタギリは驚いた。 大丈夫なのかと再度確認すると、グラハムは笑みを顔に浮かべ、余裕たっぷりに応える。 「言っただろう、カタギリ。彼女は大切なものを失いたくないだけであると。私を失いたくないと思った、だから突き放した。しかしそれこそが、既に彼女が私を受け入れ始めたという証なのだよ」 これほど嬉しいことはない、そう言って彼は、浮かべた笑みを隠すように俯いた。 #14. 消えるなら空 カタギリの部屋から出たグラハムは想像する。 自分が空に消えたとき、逃げることなく真っ直ぐと空を見上げるの姿。 彼女を悲しませたいわけではない。 彼女を置いていきたいわけではない。 その気持ちを偽っているつもりなど毛頭ない。 しかし、が空を見上げ、その度にグラハム・エーカーを思い見つめる。 彼女はきっと逃げないだろう。 諦めて空に背をむけるなど、考えもしないだろう。 そして、彼女の中に刻まれたグラハム・エーカーを忘れることはないだろう。 その様のなんと魅力的なことか。 想像するだけで気分の高揚を抑えられず、グラハムは口元を手で覆って笑みを隠した。 << ○ >> |