私は今、山積みにされた書類と睨み合っている。

表の中に並ぶ数字数字数字……息が詰まりそうだ。

怒ったような、ミレイ会長の声が聞こえた。


「こら、ルルーシュ! 今寝てたでしょ!」


ポコンと、軽快な打撃音。

顔を上げると、丸めた冊子で何度も頭を叩かれるルルーシュが見えた。

私の左隣には、その冊子を持ち、叩き続ける本人である会長。

机を挟んだ正面に、私と同じく書類を手にしているシャーリーがいる。


「だからって叩かないでくださいよ」

「俺を置き去りにした罰だって」

「そーそー、何やってたのよ昨日?」


机の端に座っているリヴァルがルルーシュをからかい、シャーリーも非難めいた視線をルルーシュに向ける。

その質問に口篭ったルルーシュが視線を逸らす。

一瞬、私を見たような気がしたが、目をあわす暇もなく彼の視線は別方向へ移っていた。

現在私たちは、部活の予算審査に奮闘している。

部屋の隅にあるパソコンデスクにはニーナが。

パソコンデスクは、彼女の指定席のようなものだ。

とにかく、この予算審査が終わらなければどこの部活へも予算が降りなくなってしまう。

もしそうなった時、各部活部員たちの怒りは計り知れない。

過去に起こった、馬術部の生徒会室突撃事件を思い出し思わず身を震わせる会長。

気のせいか近くで馬の鳴き声が聞こえる。

シャーリーが会長へ抗議した。


「せめて、もう一日早く思い出していてくれればよかったんですよう!」

「もう一日遅くが正解。諦めがつく」

「いい考えだ。今からでも――」


それに便乗するように軽口を叩くリヴァルとルルーシュ。

会長のガッツの魔法――もとい、喝が飛んだ。






















なんとか仕事を終え、教室に戻った私たちを迎えたのは毒ガステロという嫌なニュースの話題だった。

クラスメイト達がノートパソコンを取り出しニュースを見ていた。

画面には現場に集まった野次馬や軍人が映っている。

嫌な映像だ。

事件があったのは、イレブンが多く住んでいるシンジュクらしい。

少し、嫌な予感がした。


「シンジュク?」

「昨日、この件で電話したんだよ。知り合いからリアルタイムで聞いてて」


何故か不思議そうにルルーシュを見たシャーリーに、ルルーシュが答えた。

よく分からないが、昨日、テロの起こった時間と同時期に、ルルーシュはシャーリーに電話をしたらしい――シンジュクの件で。

昨夜会ったときの、彼の顔を思い出した。

嫌な予感が広がる。

しかしそれは、ルルーシュに対してだけではなく、漠然とした何かが寄り集まったような大きな不安。

不安げにルルーシュを見ると、彼は何かを考えているようだった。

明らかにニュースに対する好奇心とは違う、鋭い目。

かと思えば、急に顔色を変える。

口を押さえ、慌てて――しかし周囲を気にして、そっとその場を離れ去った。

私はそんな彼の姿を追う。

リヴァルとシャーリーが不思議そうに「どうしたの?」と聞いてくるが、「授業の前にトイレ行ってくるー」と、出来る限り軽い口調で答えた。

不安は消えない。

ルルーシュの姿を見失ったかと思い落胆しかけたとき、男子トイレの中から水音が聞こえた。

壁にもたれて、彼を待つ。

シンジュクテロ、リアルタイムでシャーリーに掛かってきたルルーシュからの電話、帰りの遅かったルルーシュ、珍しく顔色の悪いルルーシュ。

それらが全て、一つに繋がるわけではないし、繋がったからといって如何というわけでもない。

そう言い聞かせるが、私の中でどんよりと蠢く暗い大きな不安は増すばかりだった。

トイレの中から足音が近付き、その人が姿を現す。


「ルルーシュ」

?」


私がここにいることが予想外だったのだろう彼の驚いた顔は、先ほどよりも血の気が引いていた。

しかしそれは私も同じだったらしい。


「どうしたんだ、顔が真っ青だぞ」

「ルルーシュこそ――その、昨日の夜のことなんだけど……」

、昨夜のことは――」


ルルーシュが真っ直ぐ私の目を見た。

思わず、視線を逸らしてしまう。

ルルーシュの目が見れなかった、不安で押しつぶされそうになるから。

しかし、目を合わせようとしない私をいぶかしんだ彼は、私の肩を掴む。


、俺の目を見ろ」

「ご、ごめん……」


しかし、どうしても私の視線は彼の顔へ向けられなかった。

心の何処かで、彼と目を合わせてはいけないと、根拠のない思いが圧し掛かっていた。

根拠のないその思いはしかし、いつもらしからぬ彼の態度によってより大きくなる。

彼の手が今までにないほど強く私の肩を掴む。

私が目を逸らせば逸らすほど、その力は強くなる。


「なんで、俺の目を見ない?」

「ごめん、ごめんね……なんだか、その、分かんないんだけど……怖いの」

「怖い?」

「ルルーシュが、いつもと違うから」


はっとしたように、彼が手を離す。

初めて自分が力を込めていたことに気付いたようで「ごめん」と呟いた。

気にしていないよと、軽く首を振ったが、彼の手が離れても顔を上げられなかった。


、どうしたんだ?」

「ふ、不安なの」

「何が?」


ようやくいつもの彼の声が戻る。

それでも全く拭われない不安。

自分が今にも崩れてしまいそうで、思わずルルーシュの制服の裾を引っ張った。


「私の兄……って言っても、実の兄妹じゃなくて、私の実姉の夫なんだけどね。……イレ……日本人なの」

「え?」


初めて話す、自分のこと。

ルルーシュとは、あまり互いのことを話したことはなかった。

唐突で意外な内容に、彼は驚いたように声を上げる。


「私たち姉妹は今二人だけでこっちに住んでるから、兄は必死に、私まで養ってくれてて……その為に名誉ブリタニア人になったの」


少しだけ、ルルーシュが反応したのが分かった。

何に反応したのかは分からない。


「昨日のテロ……シンジュクに、行ったのかもしれない」


私は話を続けながら、先ほどみた画面を思い出していた。

ウェブ上にアップされたという、日本人の死体、死体、死体――。

今までだって、テロ活動は頻繁に起こっていた。

それらにも、きっと義兄は行っていたのだろう。

しかし、先ほど見た画面に移っていた死体は、どう見ても一般人。

普通に街中を歩く為の服を着た、日本人だった。


「私の兄は、優しすぎるから……だから、不安なの。きっと、兄は……」


義兄に怪我がなかったとしても、あんな現場に立ち会って平常心を取り戻せるような人じゃない。

体にも怪我を負ったかもしれない、心には、消えない傷を負ってしまったかもしれない。

離れて暮らす姉夫婦、心優しい義兄と彼を支える姉を想った。


「分かるよ、その気持ち」

「え?」

「俺にも、いるんだ、軍人になった日本人の友人が。昨日のシンジュクにも行っていた…と、思う」


ルルーシュの、優しい声。

思わず顔を上げると、彼は今まで見たこともない悲しそうな目をしていた。


「馬鹿なやつでさ、そいつも、優しすぎるんだ、ほんとに……」


少し、遠い目をした。

私の知らない彼の友人のことを想っているのだろう。

不安な心を押さえ込むように、彼がおもむろに私の頭を抱き寄せる。

私も彼を強く抱きしめた。


「ブリタニアなんか、なくなってしまえばいいのに」


耳元で、悲痛な声が聞こえた。

それは、私の心の声であったかもしれない。



















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