観覧者










昨日、スザクが拘束されたというニュースを聞いて以来、ナナリーは不安で震えていた。

忙しい身の兄、ルルーシュに頼るわけにもいかず、先ほど出かける彼を黙って見送った。

昨夜、ルルーシュがナナリーにはっきりと断言した言葉が、何よりの支えだ。

『あのスザクが、そんなことする筈がない』

今はただ、その言葉を信じるしかなかった。

不安に震えそうになる体を抑えていると、部屋の外から足音が聞こえた。

ここで世話をしてくれている咲世子かと思い顔を上げると、ドアが開き歩いてきた人物の声が届く。


「ナナリーちゃん」

さん?……すいません、今日はお兄様もう――」

「うん、知ってる。さっき、出て行くルルーシュに会ったから」

「そうなんですか?」


学校も休みで、ルルーシュも出掛けているこの日にが来るというのは少し意外だった。

の目的が分からず首を傾げると、彼女の足音がナナリーに近付く。

前までくると、彼女は膝をついてナナリーの手をとった。

突飛な行動にナナリーは少し驚き、手の震えに気付かれることを危惧した。


「ナナリーちゃん、大丈夫だから」


まるでそれを全て見透かしているかのように、頼もしい声がする。

なんの根拠があってそんなことを言っているのかも分からないが、力強く信じたくなるような声だった。


「枢木スザク……彼はきっと大丈夫」

「どうして……?」

「なんとなく、そんな気がするの」

「……――はい」


ナナリーには、ルルーシュの言葉がの言葉が、自分を力づけようとしているのが分かる。

不安は拭えないが、それでも自分を大切に思ってくれる二人の為に微笑んだ。


「ナナリーちゃん、折り紙しようか。咲世子さんも呼んで」

「はい」








 × × ×




黙々と色紙を折る。

一言二言の会話もしたが、盛り上がることもなくひたすらに鶴を折った。

すらすらと綺麗に折る咲世子の鶴を感心したようにが見、ナナリーは触れて形を確かめる。


「このまま、千羽になりそうですね」


ポツリと咲世子が呟く。

とナナリーが顔を上げる。

「そんな大げさな」と笑う

「本当にお願いが叶えられると、いいのに」と俯くナナリー。

気まずい沈黙が流れる。

咲世子がお茶を淹れるために席を立った。

空は段々と赤みを帯び、暗くなっていく。

どこかで、夕刻を告げる鐘が鳴った。


「すいません、私、ちょっと……」


夕刻の鐘が鳴ると、ナナリーは部屋から出て行った。

ナナリーの様子が気になり、後を追おうとしたはお茶を淹れに行った咲世子のことを気にし、キッチンに視線を遣った。

しかし彼女が戻ってくる気配はない。

仕事の邪魔をしてはいけないと、足を忍ばせてキッチンへ行くとそこに彼女の姿はなかった。

咲世子が下げたティーポットが一つ、ポツンと残されている。

不思議に思いつつも、ナナリーが気になり、はナナリーの部屋へ向かうことにした。

その途中テレビを噛り付くように見ている咲世子を見つけたが、声を掛けなかった。

テレビの音声は、枢木スザクの処刑パレードの始まりを伝えている。

それを見つめる咲世子を見て、彼女もまた日本人であったと複雑な思いを抱き、誰よりもこの時間を不安がっていたナナリーへの心配が募る。

ナナリーの部屋から、ラジオの声が漏れ聞こえる。

ドアを開けると、明かりのついていない静かな部屋の中で、ラジオだけが声を上げていた。

暗い中、ぼんやりとナナリーの姿が見える。


「ナナリーちゃん」

「……すいません、あの、私――」


急に場を離れたナナリーを追ってきたに、ナナリーはなんと説明するべきかを迷っていた。

ルルーシュとナナリーと枢木スザクの間に何があったのか知らないは、それでもナナリーの傍にいる為に何も聞かず寄り添った。


「あ……」

「大丈夫。大丈夫だから」


震えるナナリーの手を握り、はラジオに耳を傾ける。

ラジオでは現場のナレーションが行われており、ついに輸送車に乗った枢木スザクが姿を現したことを伝えた。


「スザクさん……!」


悲痛な声をナナリーが上げる。

現場の状況を伝えるリポーターの声。

枢木スザクを非難する群集の声。



それが、突然ざわめきに変わった。



リポーターの声が困惑している。

ラジオから伝え聞く話によれば、何者かが現れたらしい。

恐らく、テロリストだろう。

ラジオのせいか、マイクが遠いせいか、音声がよく聞こえない。

ざわざわとした話し声がしたかと思うと、慌てたように先ほどとは違うリポーターの声がした。


『只今テロリストが登場し、現場が混乱しております。状況を把握できしだい詳しい状況をお伝えしますので、しばらくお待ちください』


それから喧騒と、テロリストと思しき声がスピーカーから聞こえた。

枢木スザクの引渡しを要求している。

現場の状況は見えずナレーションもない為、聞こえてくる人の声から推測する限り、たいした装備もないままテロリストは観衆の前に現れたらしい。

彼は、自身をゼロと名乗った。

そこに何があるのかは分からないが、“何か”が彼の切り札になっているようだ。

そして、何より観衆が、聴衆が驚いた彼の言葉。


『クロヴィスを殺したのは、この私だ!』


ナナリーが息を呑む。

も驚きで目を見開いた。

二人だけではない、ゼロの言葉を聴いた全ての人間が驚いただろう。

スピーカーで響くゼロの声と違い、恐らく地声で対話をしている軍人たちのセリフはなんと言っているのか分からない。

しかし、ゼロに対する威嚇をしていることだけは分かった。

悠々と、それに怯まないゼロは自信たっぷりに言い放った。


『いいのか? 公表するぞ、オレンジを』


オレンジ、その言葉にどんな意味が含まれているのか――民衆には知りようがない。


「オレンジ……?」


その言葉に、どんな秘密があるのか。

とにかく、軍人との取引に利用できる程度には重要なキーワードには違いないのだろう。

元々ブリタニアに不信感を抱いているは眉を顰めた。

国を治める以上、機密は絶対に必要なものだと彼女は理解していた。

しかし、結果としてそれがテロリストに掴まれる弱味となることに情けなさを感じえない。

一方でナナリーはひたすらに枢木スザクの心配をしていた。

彼女は、例えテロリストだったとしても彼を救ってくれるのならば、ゼロに縋りたかった。

結果、枢木スザクの拘束は解かれたようだ。

観衆の抗議の声で埋め尽くされ……その声は悲鳴に変わった。

何が起こったのか分からず、とナナリーはラジオに噛り付く。

そのまま、ナレーションが戻ることはなく荒々しい戦闘音が響いた。

ノイズが入り、通信が切れる音がする。

そして通信が戻った次の瞬間には、現場はスタジオと思しき場所に変わっていた。

コメンテーターが「お聞き苦しい放送をして――」と謝罪を述べ、現場の状況を伝えた。

無害ではあったものの突然煙が噴き出し、パニックになった観衆が逃げ惑ったこと。

テロリストが枢木スザクを連れて姿を消したこと。

何の専門家だかよく分からない人たちが、今起こったその事件を分析しそれぞれの考察を述べた。

それが延々と続くラジオ放送。


「スザクさんは、どうなってしまったんでしょうか?」

「……分からない。けど、彼は助け出されたわけだから、無事だと思う」

「そうだといいんですけど」


心配そうに呟くナナリーを励まそうとする

ナナリーは、ラジオを手放そうとせず、情報を聞き漏らすまいと耳を傾けていた。


「ねえ、ナナリーちゃん。聞いてもいいかな?」

「なんですか?」

「ナナリーちゃん達と、その、枢木スザクについて」

「……」


話してもよいものかとあからさまに躊躇うナナリー。

は、ルルーシュのいないときにこの事を聞き出すことに卑怯さを感じないわけではなかった。

それでも知りたいという欲求は抑え切れなかった。


「一応ね、ルルーシュから聞いたことあるんだ。あの……ナナリーちゃんとルルーシュの本当の名前について」

「え?」

「前に、話してくれたの。皇族、なんだってね」

「お兄様が、話したんですか?」

「うん」


の返事を聞くと、ナナリーは安心したように微笑む。

彼女の警戒心や戸惑いがなくなったことに安堵しただが、罪悪感は残る。


「スザクさんは、私たちが日本に来た時からのお友達なんです。えっと、戦争が始まる前まではスザクさんのお家に住まわせて貰ってて、それで」

「……ああ、そっか。ニュースで言ってた。枢木スザクは、日本最後の総理大臣の嫡子だって」

「はい。戦争で、離れ離れになっちゃったんですけど……でも、生きていてくださって、本当に嬉しかったんです。……なのに――」

「大丈夫だよ」


は項垂れるナナリーの頭をそっと抱きしめる。

縋るように、の服を握るナナリー。

そのとき、ラジオから声が聞こえた。


『速報が入りました。枢木容疑者から、連絡が入ったようです』


とナナリーは慌ててラジオに向き直る。

コメンテーターが、ゼロから開放されたらしい枢木スザクの今後について話し合った。


『元々の殺害容疑も根拠が曖昧になってきましたし、枢木一等兵、これは無罪放免の可能性が――』


まだコメントは続いていたが、ナナリーにはこれで十分だった。

安心したように、微笑むナナリー。


「よかった……」

「うん」


そのナナリーの表情を見て、もまた安堵した。

あとは、ルルーシュの帰りを待つだけだと体の力を抜いたは、扉の開く音を聞いた。


「咲世子さん?」


いち早くそれに気付いていたナナリーは、背後にある扉の方へ声をかける。

今このクラブハウスにいるのは、ナナリーと、そして咲世子だけだ。

誰かがナナリーの部屋へ入ってくるとしたら、それは咲世子の筈だった。

しかし、扉から入ってきた人物を見たは動きを止める。

言葉を失ったと、物言わぬ入室者を不思議がるナナリー。


「どうしました? さん?」

「……誰?」


ナナリーの問いには答えず、は彼女を背に庇うように移動した。

誰かと問われても眉一つ動かさないまま、長い緑色の髪をした女は無表情で口を開いた。


「C.C.だ」

「し、シーツー?」

「ああ」

「……イニシャルで?」

「そうだ」

「えっと……」


強盗か何か、とにかく不審者であると判断し警戒していただったが、動揺も見せず素直に問いに答えるC.C.に戸惑いを見せる。

ナナリーは、とにかく知らない女性が入室してきたのだと理解し、扉の方へ向き直った。


「C.C.さんは、お兄様のお知り合いですか?」

「そうだ」

「え、ええ!?」


平然とするナナリーに、当然のように答えるC.C.に、は一人驚く。

それはルルーシュの知人という彼女が拘束服を着て明らかに異様だった為であるのと、自分が知らない女の知人がいたことでもあった。

しかしここでそれを問い詰めたとして、この異様なC.C.と名乗る女が危険人物だったとき、自分一人で対処できる自信はなかった。

むしろ、ナナリーを危険に晒してしまう可能性が高いと判断し、とにかくルルーシュの帰りを待つと決めた。


「C.C.さん、申し訳ないんですけど、お兄様は今出掛けているんです」

「知っている。待たせてもらうぞ」

「ええ、でしたら咲世子さんに頼んでお茶でも――」

「ああ」


はお人好しのナナリーに頭を抱え、さり気なくナナリーとC.C.の間に入る。

咲世子を呼びに行くときも、リビングでルルーシュを待つときも、は二人の間に入った。

C.C.は、あからさまなの態度など歯牙にもかけず余裕で振舞う。






しばらくすると、ルルーシュが疲れた顔をして帰ってきた。

ドアが開き、気だるそうな足取りでルルーシュが入ってくる。

そんなルルーシュの姿を見た途端、は一瞬彼への心配で頭が一杯になった。


「おかえり、ルルーシュ」


しかし、C.C.が彼に声をかけた瞬間ルルーシュが驚きのあまり目を大きく開き、それを見た途端にはC.C.への不信感を大きくした。


「おかえりなさい、お兄様」

「おかえり」


その様子に全く気付いていないナナリーを心配させまいと、も平静を装って彼を迎える。

ナナリーが、ルルーシュを心配していたことを話すが普段の彼らしくもなくルルーシュは呆然としたまま突っ立っていた。

呆然とはしているが、C.C.を警戒している様子も見えないことから、危険な人物ではないようだと判断したは警戒心を解く。


「変わったお友達ですのね、イニシャルだけなんて」

「ああ……」

「ひょっとしてお兄様の恋人?」

「え」


ナナリーが話しかけるが、呆気にとられたままルルーシュはただ相槌をうつだけだった。

しかし、意外なナナリーの言葉に少し反応する。

そのナナリーの問いにC.C.が答えた。


「将来を約束した関係だ。な?」


彼女はルルーシュに、そう同意を求めた。


「は!?」

「……!?」


ルルーシュ以上に驚いたは、言葉を失ってC.C.とルルーシュを交互に見る。

ルルーシュ自身もその言葉に驚き身を引く。

一方でナナリーは、不安で寂しそうだ。


「将来って、結婚?」

「違うって、そういうのじゃなくて。その、彼女は冗談が――」

「嫌いだ」


誤魔化そうとするルルーシュの言葉を遮ってC.C.が言い放つ。

目に見えて動揺しているルルーシュの態度が、果たしてどういった動揺なのか分からず、もまた不安そうな顔をした。


「……ルルーシュ、いつの間にそんな」

「いや、だから違うって。、冷静になれ」

「一番冷静じゃないのは、ルルーシュに見えるけど……」


慌てたように否定するルルーシュにはあまり説得力がなかった。

そもそも彼は、「結婚」を否定しただけであり「将来を約束した関係」を否定はしない。

それだけで、にとっては大きな衝撃になった。

ナナリーは寂しそうな声で、しかし兄を祝福しようと努めていた。


「意外と早いんですね……でも、人それぞれって言うし、おかしくはないのかしら」


ナナリーの言葉は、兄に伝える為の言葉と言うよりは自分に言い聞かせているようだった。

ナナリーを気遣うように見て、も情けない表情でルルーシュを見ると、彼は人差し指を自身の口に当てた。

「黙っていろ」という意思表示だとすぐに理解した彼女だったが、何のことを指すのかは分からない。

判断に困り眉を顰める。

と、ルルーシュがテーブルの上のティーカップを持ち、床に落とす。

カップが割れ、お茶が零れる音がする。

音に驚き、不安そうに顔を曇らせるナナリー。

はルルーシュの意思を汲み取ったが、そもそも驚いていて何か言える状況ではなかった。


「ああ、何やってんだよC.C.、濡れちゃってるよ。ほら洗面所に行かないと」


強引にC.C.の腕を引き、無理やり立たせるルルーシュ。

少し怒ったように彼女の背を押し部屋から出て行こうとする。


「C.C.の着替えも出してやらないといけないし、悪いんだけど片付けを頼めるかな?」

「えっ、あ、うん」


突然話を振られ、思わず音の外れた返事をする


「ナナリー、危ないから動くなよ。それと、さっきのは嘘だから。嘘、冗談」


そのまま、部屋を二人で出て行く。

正確に言えば、ルルーシュが無理やりC.C.を連れて出た。

残されたナナリーは、閉じたドアを見ていた。

同じく呆然としていたは、我に返ると立ち上がった。


「な、ナナリーちゃん、とりあえず片付けるから。待っててね」

「あ、はい」


不安と寂しさを抱えたとナナリーは、しかし二人でルルーシュとC.C.の話題に触れることを避けた。

それは、二人で話しても解決することではないと分かっていたからであり、これ以上それを口にすることでより大きくなる不安や寂しさを回避する為でもあった。





























<<  >>