楼閣









朝、小鳥の鳴き声で目が覚めた。

腕の痺れを感じ顔を上げると、自分が机に座ったままうつ伏せて寝ていたことに気付いた。

覚醒しない頭で周りを見回す。

毎朝見慣れた寮の自室ではない。

一瞬ここが何処なのか分からなくなり、次の瞬間クラブハウスだと気付いた。

そうか私はルルーシュが床に落としたカップの破片を片付けた後、彼を待っている間に寝てしまったのか。

ナナリーちゃんはどうしただろうと姿を探すが、もちろんいない。


「……あ」


しかし、テーブルの端で私と同じように腕に頭を埋めて寝ている人物がいた。

白いシャツを着た、黒髪の――ルルーシュだ。

身を起こすと私の肩から毛布が落ちる。

途端に早朝特有の冷たい空気が私の肌を撫で、体温の下がっていた私は慌てて毛布を掛け直した。

きっとルルーシュが掛けてくれたのだろう。

クラブハウスは静かで窓の外にいる小鳥の鳴き声のみが聞こえる。

時計を確認すると、6時を回っていた。

私は物音を立てないように立ち上がり、ルルーシュに近寄る。

彼の体には、毛布もなにも掛かっていない。

毛布を譲ってくれたのだと気付き、私の体を覆っていた毛布をルルーシュにそっと掛けた。

今から、とりあえず部屋に戻り学校へ行く準備をし、できればシャワーを浴びたい。

朝食を摂って、1時限目の授業に間に合うように学校へ行く。

その為には今ゆっくりしている時間はない……というか全てのことをクリアできるかすら分からない。

ルルーシュを起こすのも気が引けたので、私は足を忍ばせて部屋を出ることにした。

ルルーシュに背を向ける。


「昨夜は、ごめん」

「……起きてたの?」

「いや、今起きた」


私の努力も空しく、ルルーシュは目を覚ましていたようだ。

彼もまた腕が痺れている様で、ぎこちない動きをしつつ私を見た。


「カップを片付けてくれて助かった。あと、ナナリーのことも、ありがとう」

「それは、別に。でも――」

「忘れていたわけじゃない。と話したいと思ってたんだ。まさか、あいつが来るなんて思っていなかったから」

「C.C.さん?」

「ああ」

「あの人は、ルルーシュの、恋人?」

「違うと言ってるだろ」


ルルーシュはやや苛立ったように言った。

寝起きのせいもあるのかもしれないが、いつもより感情が露骨な気がする。

ルルーシュは時計を確認し、時間に余裕のないことに気付いたようだった。


、とりあえずまた、今日の夜にでも」

「本当に?」

「俺が嘘を言っているかどうか、お前なら分かるだろ」


皮肉るように笑うルルーシュ。


「ま、ルルーシュが嘘をついていようと看破できないんだし、どっちでも一緒か」


私も、お返しに思い切り皮肉な笑みを向けた。

「それじゃあ後で」と手を振ってドアを開けた。

クラブハウスを出たらあとはもう、ひたすら寮まで走った。






 × × ×








その日の夜、再び私はクラブハウスに向かった。

最早通い慣れた道を歩く。

ルルーシュはリヴァルとシャーリーに捕まって何やら話をしていたので、私1人だ。

昨夜ナナリーちゃんを放って眠ってしまったまま今朝も会えなかったので、一足先に行ってナナリーちゃんに謝ろうと思っていた。

クラブハウスの入り口に、人が立っているのが見えた。

人がいること自体は珍しくないのだが、入り口で立ち止まる人というのは珍しい。

近付くにつれキャップを被っていると判別できるようになり、段々とピザの宅配員であることが見えてきた。

何故クラブハウスに、ピザの宅配が?

咲世子さんは勿論、ナナリーちゃんが頼むはずはない。

ミレイさんか誰かだろうかと、歩みを速めた。

私が入り口に着く頃にはもう受け取りを追え、宅配員が「ありがとうございます」と言っているのが聞こえた。

ピザを持っている人物を確認する。


「あ」


その人物と目が合う。

驚き動きの止まる私と、まったく表情の変わらないC.C.さん…とやら。

私の横を、爽やかに宅配員が通り過ぎ、ピザの匂いが香った。

呆然と立ち尽くす私に構わずC.C.さんはピザの箱を持ったままクラブハウス奥へと入っていく。

慌てて追いかけ、C.C.さんに声を掛ける。


「あの、ちょっと、C.C.さん」

「なんだ、ピザならやらんぞ」

「いや、そうじゃなくて。えっと、なんで此処に?」


私の問いに、C.C.さんは興味を示すわけでもなくただ目線だけ私に向けて歩き続けた。



「ここから出るなと、ルルーシュに言われているからな」

「ここ、住んでるの?」

「そうなるかな」


そう言って当たり前のように、C.C.さんはルルーシュの部屋に入っていく。

一瞬、勝手にルルーシュの部屋に入ることを躊躇うが、ドアが閉まりそうになるのを見て慌てて入った。

C.C.さんはベッドに腰掛けると、早速ピザの箱を開けていた。

部屋中に、ピザの匂いが漂う。

咄嗟に部屋に入ってしまったものの勝手にベッドに腰掛けるわけにもいかず、手持ち無沙汰に立ち尽くしていると、C.C.さんが私を見た。


「何してるんだ?」

「あ、いや……C.C.さんは、ルルーシュの、何なんですか?」

「将来を約束した仲だと言っただろう」

「で、でも、こ、恋人、じゃ……ないんです、よ、ね?」


確認したくて、万が一にも「恋人だ」と言われるのを恐れつつ、尋ねた。

C.C.さんは嘲笑するように、ふんと鼻をならす。

将来を約束とは、どういう意味なのだろうかと考え、考えても分からないのでやめた。

C.C.さんに聞いても、答えて貰えないだろう。

とにかく、ここに立ち尽くしていても何ら得るものはないと分かり、私は最初の目的であるナナリーちゃんの元へ行くことにした。

体の向きを変え、ドアから出ようとしたときふと、C.C.さんに自分の名前を伝えていないと気付く。


「C.C.さん」

「なんだ? まだ何かあるのか?」

「私の名前、っていいます。よく、ここにお邪魔させて貰っているので……でいいです」


自己紹介をすると、不意打ちだったらしいC.C.さんは少し驚いた顔をしていた。


「昨日、ルルーシュとナナリーがその名前を呼んでいるのを聞いた。とっくに知っている」

「だけど、自己紹介はしてなかったし」

「そうだな」


C.C.さんは興味なさげに頷いて、そのままピザを食べ始めた。

あまりにも眼中に入れてもらえない私は、溜め息をつく。

ふと、一年前に初めてルルーシュと言葉を交わしたときのことを思い出した。

私に対して、全く心を開かなかったルルーシュ。

私と彼の間には、厚い壁があった。

それから一年、今では見違えるほど彼は素直になったし、時折本音も聞けるようになった。

C.C.さんの姿が、あのときのルルーシュと重なる。

私が微笑んでいるのが、余程不気味だったのだろう。

C.C.さんが眉をしかめながら「何だ?」と聞いてきた。

私は軽く謝って、いそいそと部屋を出た。











リビングに行くと、ナナリーちゃんと咲世子さんがいた。

ナナリーちゃんは私が来たことに気付いていたらしく、ドアが開いたときにはこちらを見ていた。

私は二人に挨拶をすると、ナナリーちゃんの横に座った。


「あのさ、ナナリーちゃん、昨日はごめんね」

「何がです?」

「あの、いつの間にか私寝ちゃったみたいで」


そういって謝ると、ナナリーちゃんは思い出したように「ああ」と呟きにこりと笑った。


「全然気にしてないですよ。さんこそ、カップの片付けありがとうございました」


ナナリーちゃんの言葉に安堵しつつ立ち尽くしていると、椅子に座るよう勧められた。

咲世子さんがお茶を淹れてくれる。

温かい紅茶を飲みながら一息ついた。

私の頭の中は疑問と心配でいっぱいだった。

義兄のこと姉のこと、ルルーシュのことC.C.さんのこと。

これから私のやらなくてはいけないことと、考えなくてはいけないことを思うと気が重かった。

更に紅茶を飲もうとティーカップに口をつけたところで、規則正しく焦ったような足音が聞こえた。

ドアが開き、ルルーシュが顔を出す。

彼は真っ先にナナリーちゃんに「ただいま」と伝える。

その後、初めて私の方を見た。


、やっぱりここにいたのか」

「どうも、お先にお邪魔してます」

「ちょっと、いいかな」


廊下に出ろと、ルルーシュが顎で指示を出した。

ティーカップを置き、大人しくそれに従う。

廊下に出て、リビングに声が届かない場所まで歩いた。

いざ二人になると、どう話を始めるのか、そもそも何の話をするのか分からなくなり黙りこくってしまった。

しばらく歩いて、ルルーシュが足を止めた。

私を振り向いて、真面目な顔でこちらを見る。


「……お前、もしかして俺の部屋に入ったか?」

「ごめんなさい」


ああ、そういえば、ルルーシュに断りもなく彼の部屋に入ってしまったと思い出す。

失礼なことをしてしまった……と思うのと同時に、でもC.C.さんは部屋に入っているじゃないかと少しイラついた。

ルルーシュは溜め息をつく。


「あの、部屋に入ったのは申し訳ないと思ってるんだけど、その、C.C.さんは一体――」

「俺の部屋以外に、隠せる場所がなかったんだ」

「か、隠す……?」

「あいつは、軍に追われてるんだ」

「匿ってるってこと?」

「まあ、……そんなところだ」


ルルーシュは珍しく少し言葉に詰まった。

何故か分からず口を開こうと思った矢先、ルルーシュの後ろに緑の髪が見えた。

C.C.さんだ。


「違う、匿われてやってるんだ」

「C.C.!?部屋にいろと……!!」

「ほらな、監禁されてるんだ私は」


ワザとらしく溜め息をついたC.C.さんに、ルルーシュは口調を荒くした。

C.C.さんは、呆然としている私を嘲笑するかのように見た。


「なんだその間抜けヅラは」

「え、あ、いや、その……」


展開についていけない私は頭が真っ白になり、無駄に手を動かした。

そんな私には目もくれず、苛立ったようにルルーシュはC.C.の腕を乱暴に引っ張る。

私にもついて来いと指示をする。

先ほどから、ルルーシュは随分と私に指示を出すようになったなあと、少し拗ねたい気持ちになった。

ルルーシュはC.C.を自室に押し込み、私を招き入れた。

テーブルに、ピザの空き箱がある。


「C.C.さん、一人でピザ食べたんですか?」

「そうだ」


彼女の腰を見る。

拘束服を着て、体のラインが綺麗に出ている彼女のウエストは細かった。

この細い体の何処に、ピザ一枚が入ったのだろうと観察しているとC.C.さんに「気持ち悪い視線を向けるな」と睨まれた。

そんな私と彼女のやりとりなど眼中にないように、ルルーシュは口を開いた。


、見ての通り、こいつはしばらくここにいる」

「う、うん……」

「だけど、ナナリーには内緒にしておいてくれ。ただの友人ということになっているし、ナナリーを巻き込みたくないんだ」


真剣で切実なルルーシュの言葉に、私は迷いなく頷く。

安心したように顔を緩ませたルルーシュは、付け加えるように「勿論他の誰にも言うなよ」と言った。

ルルーシュとの秘密の共有がまた1つ増えたことが嬉しくて、私もまた顔を緩ませる。

C.C.さんの方を向いて、緩んだ顔のまま挨拶をした。


「そういうことだから、よろしくね。C.C.……って、私も呼んでいい?」


返事をせずに彼女はルルーシュに顔を向けた。

拒否はされなかったので、C.C.と呼ぶことにする。


「こいつはどこまで知っているんだ?」

「お前には関係ないだろう」


C.C.の問いに、素っ気無く答えるルルーシュ。

するとまた、バカにしたようにC.C.が笑った。


「なんだ、お前の愛人なのか。悪いことをしたな」

「違う!!」


愛人という響きに、すこし胸を弾ませてしまった私とは反対に、ルルーシュは間髪いれず力強く否定した。

そこまで思い切り否定しなくても、と口を尖らせる私のことなど意にも介さずC.C.は「冗談だ」と言い放ち、ルルーシュは「当然だ」と返す。

拗ねている私を無視し、ルルーシュが椅子に腰掛けた。


「それで、

「え?」

「何か、聞きたいことがあるんじゃないのか?」

「え……あ、ああ!」


昨日の朝に話したことを思い出す。

そうだ、私は嫌な予感があった為に出掛けようとしているルルーシュに詰め寄り、そして帰ったら話をしようと約束していたのだ。

C.C.のことがあって、すっかり頭から飛んでいた。

思い出した途端、また不安で胸がいっぱいになってきた。

ルルーシュに促され、私はベッドに腰掛ける。

隣にはC.C.が興味なさそうに座っている。

本当は、二人だけで話したかったんだけどな……と胸のうちで少しがっかりした。

それを知ってか知らずか、しかしルルーシュは気にした様子もなく私の言葉を待ってくれていた。


「ルルーシュ、昨日は何処に行ってたの?」

「スザクの所だ」

「……やっぱり」

「聞いたんだろ?ナナリーから、俺たちとスザクのことを」

「うん。勝手に、ごめんなさい」

「別に、怒ってないさ。どうせ話そうと思ってたことだ」


顔を上げてルルーシュを見ると、ルルーシュは私を見ていなかった。

斜めを向いたままの顔で、少し声のトーンを落とす。


「だから、当たり前だろ。スザクの処刑を見に行ったんだ」


ずきんと、胸が痛んだ。

隣のC.C.は、無反応に興味なさそうにベッドに横になる。


「あの場でに説明する時間がなかったからさ、後回しになったんだ」

「そ、そっか……なっとく」


納得したと、躊躇いながら口に出した。

理解は、できた。

おかしい事などない筈なのに、心の中で全然納得していない自分がいる。

嘘をつかれたと、思った。

ルルーシュは私と目をあわせてくれない。


の方は、どうだったんだ?お兄さんのこと」

「……うん、もう、多分仕事に復帰するのは、無理だと思う」

「そうか」

「私、バイト始めることにしたんだ。お姉ちゃんも義兄さんの看病で仕事しばらく休んでるみたいで……学費くらいは、私が払えるようにしないと」

「お兄さん、そんなに悪いのか?」

「……医師が言うには、精神面の問題だって。怪我は治っても、このままだと弱っていく一方みたい」


義兄の苦しむ姿を思い出す。

呻いて嘆いて蹲っていた。

優しく義兄を包んだ姉にもたれかかる彼の姿。

姉は、義兄に温かく優しい声で語りかけた。


は、学校が楽しいって。良かったね。大丈夫だよ


その後、姉から聞かされた。

義兄は、自分が日本人である為に私が学校で苦しんでいないかと悩んでいたそうだ。

姉が優しく、私に学校へ戻れと言った。

勉強をして、友達と遊んで、恋をして、そして時々は、幸せそうな姿を見せに来てと言った。



黙ってしまった私に、心配そうにルルーシュが顔を向けた。

静かな空間に、時折寝返りをうつC.C.の衣擦れの音だけが響いた。

誰も言葉を発しない。

だけどその空気が、今の私には何よりも有難かった。














































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