ナナリーちゃんの誘拐事件から、数日が経った。 何が起こったのか詳しくは知らなかったけれど、ルルーシュが私に言った。 「もう心配しなくていい」 私はその言葉に頷いた。 思い出の寄る辺 人気のない手洗い場に、水音が響く。 この場所で水音がするとき、それはあまり快いことではない。 しっかりした腕で力強く体操着を洗うスザクの背中が見えた。 「まだそんなことされてるんだ……」 「あ、。どうしたんだい、こんな所に」 「スザクがいないから、ここかなって思って」 スザクは私に向き直って蛇口を捻り水を止めた。 体操着のことなど意にも介していないように桶の中にそれを入れたまま、軽く手についた水を掃う。 赤いスプレーの跡が色濃く見える体操着を見つめている私に気付き、スザクは苦笑した。 「何か用なんじゃないの?」 「あ、うん……ルルーシュが、今日この後の予定は?って」 「え、ああ、今日は別に」 「じゃ、決まりね。優雅なティータイム」 「もかい?」 「お邪魔じゃなければ……」 「もちろん! 邪魔なんてあるはずないよ!」 心底嬉しそうに笑うスザク。 最近はスザクの予定が合えば、私もルルーシュとナナリーちゃんの所へ一緒にいくようになっていた。 私がいることに何の疑問も感じていない三人の態度がいつも嬉しい。 再び水桶に入った体操着を洗い出したスザクの横で、私は流し台の隅に軽く腰掛けた。 「スザクは美術って得意?」 「え? うーん、あんまり」 「だと思った。絶対体力派だもんね」 スザクは体操着から目を離さないまま、私のからかうような口調に苦笑した。 「さっきのルルーシュのスケッチ、どうだった?」 「ルルーシュにせがまれて見せたら、怒られた」 「あはは、ルルーシュだったら宮廷画家レベルでもないと認めないよ、きっと」 「言えてる」 他愛無くルルーシュの話をする。 スザクはルルーシュの話をすると、いつも何か懐かしくて眩しいものを見るような目をする。 それはルルーシュにも言えることだけど――。 「は、どうして……」 少し思考に耽っていると、スザクが言いにくそうに言葉を止めた。 「え?」 聞き返すと、何かを誤魔化すように一層強く体操着を洗い始める。 私はそれ以上何も言わず、スザクの言葉を待つ。 少しの間沈黙が流れ、観念したようにスザクが再び口を開いた。 「言いたくなかったら、言わなくていいんだけど。は、イレブンに偏見がないように見えるから、どうしてかなと思って」 「日本人、でしょ」 「……うん。がイレブンだって口にしているところを聞いたことがないや」 私が少し答えに詰まっていると、スザクが更に続けた。 「ルルーシュも、には気を許してる」 「ルルーシュが、私に気を……?」 「うん。君の横に居るルルーシュを見ると、なんだかいつも少し安心できる」 意外な言葉に、思わず感動してしまう。 顔を火照らせた私を横目で見て、面白そうにスザクが目を細めた。 一層恥ずかしくなり目を伏せる。 「私の義理の兄が、日本人なの」 「義理の?」 「うん。お姉ちゃんの旦那」 「ああ」 合点がいったというようにスザクが頷く。 優しいけれど、戦うことを迷わない瞳に、義兄の姿を重ねる。 「私の義兄は、名誉ブリタニア人だった」 「だった?」 「今はもう、いないから」 「……ごめん」 申し訳なさそうに肩を落とすスザクに、気にしないでと声を掛ける。 「なんとなくね、スザクに似てるんだ」 「そうなの?」 「うん。私とお姉ちゃんを養う為に、名誉ブリタニア人になってくれた。周りの友人から散々非難されてもね」 「いいお義兄さんだね」 「うん」 心から返事をした。 嬉しそうに頷いた私を見て、スザクは眩しそうに笑った。 それ以上はなにも聞かずに、また少しの沈黙が流れた。 今や存在していたことすら消えてしまった義兄の話をスザクに話してしまって良かったのか、少し考える。 「義兄は、シンジュクで一般人を殺すように命令されて、それをずっと気に病んでた」 「……」 「本当に、一般人を撃ったのかは分からない、けど……帰ってきた義兄は身も心もボロボロで、それで――」 スザクは手を止めて、体ごと私を見た。 ベッドに横たわり、うなされる全身傷だらけの義兄の姿を思い出した。 流れたままの水が、激しく洗面台に打ち付ける音。 「立派な、人だね」 今はもう、私の記憶にしかない義兄の立派な姿。 義兄は、私と姉を守ったのだ。 それをスザクに認めてもらえた嬉しさと、義兄への懐かしさ。 「うん」 私の返事は、震えてしまった。 << ○ >> |